石川県から埼玉県まで電車に乗った旅行記です。

リンク

経度緯度インデックス 図解!市町村合併の各リンクを都道府県単位でなく緯度経度でリンクしてみました。ちょっと説明が古いです。
女子高生たちの異常な特技 - もえちり!研究 漫画家「堂高しげる」先生を応援するサイトです。
バブルエステート攻略サイト 雑誌のCDROMに入っていたゲームの攻略サイトをちょっとだけ作って挫折してしまいました。

2003年4月急行能登

急行「能登」・・・津幡~熊谷に乗車(2003,4,5)

発車まで

羽咋(はくい)から乗ってきた七尾線の電車は、無事津幡(つばた)駅に到着した。

まだ急行能登が出るまで時間がある。散歩でもしてみよう。

津幡の駅を出るのは7年ぶりだ。あの時は次の電車まで時間がなかったので駅前をながめるだけで、特にお店とかもない駅だなあと思ったが、歩けば何かあるかもしれない。暗い中を歩いてみた。

なんとショッピングモールがあった。けっこう近くにあったんだなあ。

うん、大きい食料品店がある。食堂もあるようだ。それ以外の店もありそうだ。

残念ながらさっき羽咋駅の近くのスーパーで弁当を買って待合室で食べてきたのでもう夕食を買うわけにはいかないが、あした熊谷から先、朝食や昼食を買うひまがなさそうなので、何か傷みにくいお菓子とかでも買っていくことにしよう。まずは買い物だ。荷物が重くなったがもともと重いからたいした違いはない。

いや、便利な場所だ。あとで金沢に泊まることもありそうだから、もし津幡でいったん降りると乗車券が安くなるとかいう場合、迷わず降りてここまで歩いて買い物しよう。さあ、駅に戻るか。

駅に戻ってきた。電車を待つ客はほとんどいない。
降りてくる客はいる。足早に駅を出て家路に急いでいく。帰る家がある人たちはいいなあ。

やがてそれっぽい、多少荷物の大きい客が集まってきた。とは言っても10人ほどである。きょうは土曜日だし、そんなに長い旅に出る人も多くないのだろう。

まずはホームに行く。もう改札に人もなく、勝手に通ることになる。自由席の位置に行き、能登を待った。

就寝まで

やってきた。8年前、5年前に乗った時と同じような車両である。他の客に続いて自由席に乗り込む。

自由席はすいており、あっけなくすわれてしまった。津幡から乗った人たちはみんなすわれたようだ。そして発車。

あとはあした無事熊谷までに目が覚めて起きられればいい。ぼくはきょうあったことを思い返してみた。

輪島のホテルを出てバスで総持寺(そうじじ)に行き、そこからバスを乗り継いで巌門(がんもん)に行って遊覧船に乗り、さらにバスを乗り継いで羽咋まで来たんだった。

巌門ではちょうど団体客がいて、団体客といっしょに船に乗ったから、ぼくも団体料金で乗れたっけ。

そしてあしたの計画を立てた。あしたもし能登が定刻どおりに熊谷に着いたら、もう青春18きっぷは買えないから、ホリデーパスを買って内房線の五井(ごい)に行き、小湊鉄道に乗って養老渓谷で降りて散歩してみよう。

なにしろ、小湊鉄道には9年前に上総中野から五井まで乗っただけで途中の駅には降りていない。養老渓谷止まりの列車がけっこうあるので観光名所でもあるかもしれないし、散歩してみようと思ったのである。
そのあとは水戸にでも泊まろうと思い、水戸のホテルを予約してある。そのあとはまだ決めていない。あしたじゅうにあさっての宿を予約したい。

暗い中を能登は進み、富山に到着した。さらに客がドドッ・・・と乗ってくると思ったが、津幡で乗ってきた人数よりさらに少ない人数しか乗ってこない。どうやら今夜の能登は満席になることもなさそうだ。このまま寝てしまおう。

回想

ぼくは今までのことを思い起こしてみた。

ぼくが職場を逃げ出してもう1ヶ月になる。ぼくは糖尿病になってしまい、このままでは結婚もできないから、結婚するには「生まれ変わる」しかないと考えたからだ。

たとえ糖尿病になっても、仕事が続けられればまだ望みはあったのだが、どうやら仕事は続けられそうもない。転職できそうもないし、あとは生まれ変わるしかないと考えたのだ。
もしかしたら心療内科で出された、2月から飲んでいた薬のせいでこんなことを考えたのかもしれないが、薬のことはわからない。

でも生まれ変われるかわからないし、どうせ生まれ変わってもしばらくはまたいじめられっ子からやりなおしだ。だから生きているうちに日本中のいろいろなところを旅してみたい。そんなわけでこの1ヶ月稚内から九州まで行き来してみた。

寝台特急トワイライトエクスプレスにも乗った。大分空港のホーバークラフトにも乗った。吉岡海底駅にも行った。

やっぱり旅は楽しい。仕事がつまらないとなおさらだ。仕事が楽しかったころは旅に出ようなんて考えなかったし。

あまり家族のことは考えられない。というか、家族がそばにいたら、道連れに心中してしまうかもしれない。それじゃかわいそうだ。この世から逃げ出すのはぼく1人でいい。

10日ほど前、ぼくは通天閣のそばの薬局で買った頭痛薬を40錠飲んだ。なんでもこうすると遠い場所へ旅立てるらしかったからだ。

しかし旅立たなかった。どうやら「眠くなる成分」が入っていないと遠い場所に行くことはないらしい。
結局その日はまたホテルを取って泊まった。

そんなことを考えているうちにいつしかぼくは眠ってしまったようだ。

起床後

目が覚めた。能登はどこかの駅で停車しているようだ。
景色からして水上(みなかみ)のようだ。先月おわりに新宿行きムーンライトえちごに乗ったときも水上で目が覚めたような気がする。たぶんえちごも能登も水上で停車する時間が長いのでそこで目が覚める確率が高いだけなのだろう。

もう熊谷まで起きていることにする。能登は発車する。水上なので山の中のはずだ。暗い中でもうっすらと外が見える。山の間を進み、渋川(しぶかわ)を過ぎて平野に入っていく。

そして高崎に到着。夜行が停車するだけあってこんな時刻でも明かりがついている。そしてまた発車。

あとは平野を走っていく。川を渡る。まだまだこの時刻は暗い。見覚えのある埼玉県の景色だ。

そして目的地、熊谷に到着だ。能登を降りる。降りる客はぼくだけではなかったようだが何人いるだろうか。
きょうも無事夜行に乗ることができた。やはり毎日ダイヤ通りに電車が走っているというのはありがたいものだ。

遅れずに電車が熊谷に着いたので、予定通りホリデーパスを買って内房線の五井に行き、小湊鉄道で養老渓谷に行くことにする。
きょうこのあと水戸に行ったあとでどこに行くか全く決めていない。まあ、おいおい決めていくことにしよう。まだまだ命の尽きるまでは電車に乗ろう。まずは階段を上がる。

改札できっぷと急行券を渡して通った。さあ、ホリデーパスを買いに行こう。

追記1

2018年現在、ぼくは実家で引きこもっている。

追記2

現在のところ、2003年4月の旅については続きを書く予定はありません。

追記3

これでぼく(clipdime)の乗車ルポはおしまいです。しかし、乗車ルポは他にもありますので、そちらも併せてご覧下さい(別ページの「その他の急行能登リンク」)。

まことに申し訳ありませんが、ぼくに対するご意見、ご感想を伝える方法は現在のところございません。他の乗車ルポに記述されたメールアドレスは現在使用しておりません。ご了承ください。

また、最近までここには1995年4月、1998年4月の旅の続きが置かれたサイトのリンクとなる画像が置かれておりましたが、情報が古いので画像は無視して以下のリンクをごらんください。



画像も置いておきます。

Image

2003年4月急行能登