Sorry, Japanese only! (1985年6月)

110.はじめてのひとり観光宿泊旅行

説明

大学を留年したぼくは、1985年の前期(4月~9月)は月曜日にしか授業がありませんでした。
せっかくだから残りの6日間を使って旅行にでも行こうかと考えました。

時刻表を見ると北海道ニューワイド周遊券という北海道の国鉄が乗り放題のきっぷがありました。5日間有効のものがあるようです。仙台から苫小牧(とまこまい)まで夜行のフェリーが出ているので、月曜夜に仙台を出て、苫小牧に火曜に着き、火水木金土と北海道をまわり、函館から土曜深夜(日曜早朝)の青函連絡船で青森に行き、日曜に仙台に来れば全く無駄がないなと思いました。

どうまわろうか考えましたが、阿寒湖、摩周湖、屈斜路湖、ウトロ、函館の夜景は見たいと思いました。いろいろ考えてこういう計画を立てました。

月:仙台からフェリーで苫小牧へ。
火:苫小牧から釧路へ。釧路泊
水:バスで阿寒湖へ。さらに弟子屈(てしかが)(現在の摩周)へ。弟子屈泊
木:バスで摩周湖・屈斜路湖へ。列車で斜里に行き、バスでウトロへ。ウトロ泊
金:ウトロ周辺を観光し、バスで斜里、列車で網走へ。急行大雪で札幌へ。
土:札幌から特急北斗で函館へ。夜景を見る。
日:青函連絡船に乗り、普通列車を乗り継いで仙台へ。

時刻表によると北海道ニューワイド周遊券は5月31日までに買うと安いそうです。学割を発行してもらい、仙台駅の窓口に申し込みました。なんでも6月は本州は梅雨でも北海道は梅雨ではないらしいので、6月の後半に行くことにしました。本当は帰りは三陸鉄道経由にしたかったんですが、だめだとのことなので東北本線で帰ることにしました。

あとは宿です。仙台のダイエーの本屋で「宿泊表」という本を買い、釧路と弟子屈とウトロの適当な宿を選んで電話して申し込みました。ウトロはなぜか現金書留で1000円送ってくれと言われたので送りました。

こうして準備が整い、出発の日になりました。ぼくは無事に生物化学と解析概論と化学実験の授業をこなして、仙台駅の仙台港行きバス停に向かったのです。

フェリー・仙台~苫小牧

仙台駅前~仙台港

仙台駅前、青葉通りの一角の仙台港行きのバス停でバスを待った。バスがやってきた。
たいして混雑しているわけでもない。乗るとバスはまず花京院の方向に向かい、東北新幹線と東北本線の間を通る陸橋を通って進む。

梅雨空の雨の中をバスは進んでいく。ほぼ仙石線に沿って松島の方向に進む。
お客はちらほらと乗り降りするが、ぼくのように長旅用の大きな荷物を持っている人はいない。

そのうち客はぼくだけになり、右に曲がってひとけの少ない道を進んでいく。
そしてフェリーターミナルに到着である。あまりバスでフェリーを利用する人もいないのだろう。

はじめての1週間という長いひとり旅で、無事旅ができるか不安だが、がんばろう。


出航

まずは窓口を探し、北海道ニューワイド周遊券の一部であるフェリーの券を見せた。そして通路を案内され、進んでフェリーに入る。
ぼくが乗るのは二等船室というところだが、けっこう広いじゅうたんのある場所であった。

これから何度となくフェリーに乗ることになるのだが、その第一歩はこの苫小牧行きフェリーになったのである。
見るとテレビがある。テレビでは松田聖子と神田正輝の結婚式を映していた。松田聖子も結婚してしまったか。

午後8時になり、出航である。
テレビはあっちのテレビには水戸黄門、こっちのテレビにはザ・トップテンを映している。

ぼくはザ・トップテンの方を見たが、仙台港を離れると画面がチラチラして見えなくなってしまった。水戸黄門の方はもうしばらく見えるようだ。
水戸黄門じゃ特に見ることもないだろうと思い、持ってきたポケットラジオでラジオでも聴くことにしたが、船室では聞こえない。ぼくは甲板に出て聴くことにした。

当時好きだった岡田有希子ちゃんのラジオ番組を聴いてみたが、雑音だらけだったし、雨も降っていたので船室に戻り、眠ることにした。
客は少なく、4~5人程度であった。そのうち照明が消えた。はじめての交通機関での夜明かしとなった。


起床

目が覚めた。テレビがついている。ズームイン朝で徳光さんがしゃべっていた。フェリーは現在八戸の東にあり、八戸の電波を受信しているらしい。

おととい寮であった早食いコンテストで余ったパンの耳を食べることにした。長くとっておいてもカビが生えてしまうので全部食べきることにした。
そしてまた眠る。船が大きくゆっくりと上下しているようで、なんだか気持ちが悪い。

八戸沖を離れ、テレビは映らなくなったようで、映画が映っているようだ。つまらないので甲板に出てみる。すっかり雨は上がっているようだ。
はじめての船、陸地も見えずまわりは海ばかりという風景を見て、気持ちいいなあと思った。

そして部屋に戻ってしばらくすると下船時刻が近づいたが、なんと今日は苫小牧到着が20分遅れて12時50分ごろになりますというアナウンスがあった。弱ったなあ、予定の苫小牧駅発の列車の時刻は13時10分ころなのに、間に合うかなあと思った。

テレビは玉置宏の貴方も社長ハイ&ローが映っている。苫小牧の電波がもう届いているようだ。
そうこうするうちにフェリーが苫小牧港に到着した。はじめての北海道である。これからどうしようかと思いながら、ぼくはフェリーを降りた。

室蘭本線

港~駅

フェリーが20分も遅れて苫小牧港に着いたため、今は12:50である。室蘭本線のディーゼル車が13:10ちょっと過ぎである。とりあえずバス停を探した。
しかし発車時刻を見ると14:00札幌駅行きなどと書いてある。苫小牧駅に行くバスはここからは出ていないのかな?

ぼくは港から歩いて大通りに出るとバス停があるのかなと思い、歩き始めた。
ふとうしろを見るとタクシーがやってくる。ためしに手を上げると停まった。やっぱりタクシーに乗ろう。

タクシーに乗ると速い。あっという間に駅に着いた。タクシー代は1010円だったがこまかい金が1005円しかないと言ったら1000円にまけてもらった。なんだかよくわからない北海道旅行のはじまりである。


苫小牧~追分

北海道ニューワイド周遊券の道内用の券を取り出し、改札に見せるとパチンとはさみが入れられた。
これから土曜日まで5日間、函館に着くまでこの券で旅行するのである。

改札を通り、岩見沢行きのディーゼル車に乗る。ディーゼル車は子供のころ1回乗ったことがあるだけなので、目新しく感じた。

乗ってすわるとドアが閉まり、発車する。発車も電車みたいにガクンと発車せず、ブロロロロとゆっくり発車する。ディーゼル車なので乗用車と似たような振動がある。なんとも珍しい体験だなあと思いながら楽しく進んだ。苫小牧の街を離れていく。

なんだか本州では見られない植物があるなあと思った。木々もまばらで、風変わりな風景だなあと思いながらディーゼル車は進んでいく。

晴れ渡る空の下、ディーゼル車は乗換駅、追分(おいわけ)に到着した。
こうして初めての北海道の国鉄乗車は終わったのである。さあ、駅を出て食堂でも探そう。

石勝線

昼食

室蘭本線のディーゼル車を追分で降りた。釧路行きのおおぞらまでは1時間くらい待ち時間がある。
苫小牧港から苫小牧駅まではものすごく急いで乗り換えたのに、ままならぬものである。さて、どこかで食事でもできないものか。

駅の広場の向こうに古い食堂っぽいお店があった。入ってみよう。
入ってみると、どうやらそばとかうどんとかのお店のようだ。ぼくは肉うどんを頼むことにした。こまかい金がないので1万円札をくずしていこう。

店のラジオで、北海道ではもう何日も雨が降っていなくて、植物がどんどん枯れているという話をしている。

やっぱり北海道って、梅雨がないんだなあと思った。なにしろ、きのう仙台港を出たときは、どんよりとした雨だったのに、まるで天気が違う。そのうちに肉うどんが出てきたのでおいしく食べる。なにしろきょうはパンの耳しか食べていないのである。ごちそうさま。無事1万円札もくずれた。


追分~釧路

北海道ニューワイド周遊券の道内用の券を見せて改札に入り、ホームに来た。しばらく待つとおおぞらがやってくた。乗って自由席を探す。そんなに混雑していない。さすがに平日である。それにしても特急はいい。

大学に入ってから新幹線とか乗るようになったが、在来線の特急はまた違った楽しみがある。
おおぞらは釧路に向かって進んでいく。

苫小牧から追分までもそうだったが、北海道の景色は本州とは全く違ったものである。見慣れない山々、見慣れない植物、見慣れない空の色・・・

ぼくは実家の父親にハガキを書くことにした。電話代が高いのでめったに話をすることができないからだ。とりとめもない内容のハガキを書いた。

そのうち暗くなり、右手に海が見えてきた。とは言ってもきのう船に乗っていたから海を見てもどうってことはない。


就寝

そしておおぞらは終点釧路に到着した。さて予約しておいた宿はどこにあるだろう。案内にも載っていない。電話して道順をきいてみた。とりあえず進んでみると橋に出た。しかしどこにも宿は見つからない。

また電話すると進みすぎだと言われた。戻って脇道に入ってみると見つかった。大通りしか見ていないからわからなかった。安い宿は大通りにはないものなのだろう。

「ぴったしカンカン」を見ながら食堂で食事である。北海道の食材を使っているのだろう。なんでもうまいなあ。
風呂に2日ぶりに入る。そして部屋に戻って眠る。あしたは阿寒湖だ。どんな景色が待っているのだろう。おやすみなさい。

阿寒湖遊覧船

釧路~阿寒湖

目が覚めた。ここは釧路の旅館である。窓の外を見ると、わあ、どしゃぶりの雨だあ。

とりあえず朝食を食べてチェックアウトして、釧路駅の根室寄りにあるバスターミナルに行く。阿寒湖行きバスに乗って出発。
バスは15人くらいお客がいる。6月の北海道は、それほど観光シーズンではないのだろう。
雨の中、まず釧路空港前に着いて、客が乗り降りする。そしてさらに阿寒湖をめざす。雨は降り続く。

なぜか中学生か小学生っぽい男の子や女の子が乗ってくる。はて、もう朝9時を過ぎているし、なぜだろうかと思いながら進む。ところどころ鶴が見えるが、雨が降っているので窓ガラスが曇っており、あまりよく見えない。森の中をバスは進む。

ようやく終点、阿寒湖のバスターミナルに着いた。目の前に郵便局があったので、きのう特急おおぞらの中で書いたはがきを出していく。それから遊覧船の出る時刻を調べに行く。

港があったが、ちょっと待つようだ。先に食事にした方がいいだろう。
バスターミナルの近くの食堂で食事である。北海道の観光地なのでうまいものがそろっていて、なかなかいい食事であった。


遊覧船

それから港に行く。お客はいっぱいいるが、さすがにぼくみたいにバスで来た客は少なく、ほとんど車で来た人だろう。船は出る。

別の北の方の港に寄って、船は東の方に進んでいく、森に囲まれた湖なのだが、雨が降っているので森はぼんやりとしか見えない。

そして湖に浮かぶ小島の港に寄る。お客はみんな降りる。
そこにはマリモが展示されているのだ。マリモというのは謎だらけの物体なのだが、植物の集合体だと言われている。そして成長して大きくなっていくものらしい。

阿寒湖がマリモがずっと住める湖であることを祈りつつ、また船に乗って小島を離れる。
その後船はいったん南の方に進み、小さな湾になっているところに入る。
湾のまわりの森は晴れていれば美しそうだが、雨が降っているのでどこかぼんやりしている。
それだけ見てもと来た港に戻る。


阿寒湖~弟子屈

あとは今日の宿泊地、弟子屈(てしかが)に行くわけである。
川湯温泉行きの定期観光バスが弟子屈バスターミナルに寄るのでそれに乗るが、お客はぼくを含めて3人であった。なんともさみしい出発である。

道は釧路と阿寒湖を結ぶ道より山の中である。
時刻表では途中双湖台(そうこだい)というところを通ることになっているが、運転手が「こりゃ何も見えませんね。通過しましょう。」と言って停まらず進む。

そんなこんなでバスは山をおりていき、弟子屈バスターミナルに到着である。まだ午後3時である。さてどうしようか。ぼくは駅にでも行ってみることにした。

てくてく歩いて弟子屈駅に着いた。ちゃんと駅舎のある、それほど珍しくない駅である。ここでとっぷりと午後4時になるのを待った。


夕食

4時になってから今日泊まる民宿に電話する。すると迎えに来てくれるというのだ。
迎えのワゴン車がやってきた。ぼくだけ乗せた車はブロロロと進み、やや南の方に進んで民宿に着いた。

「それじゃ、まず風呂に入ってください。温泉ですよ。」

と言われて風呂に入る。本当に温泉である。ここは温泉の街なのだろう。
部屋は有料のテレビのあるたたみの部屋である。今見てももったいないからテレビはあとで見よう。そして夕食である。きのうと同じく食堂に行く。

今日の客はオートバイで旅している兄ちゃんとぼくの2人である。民宿はいいものである。
確か高校の時も10人くらいで千葉の民宿に泊まったが、こうやって1人で泊まるのもいいものである。めしももちろんうまかった。北海道ではたいていのものがうまいのである。


就寝

部屋に戻ってしばらくすると、オートバイの兄ちゃんがビールをごちそうしてくれると言う。そんなわけで兄ちゃんの部屋に行き、ビールをついでもらっていろいろ話す。

どんなことを話したかあまり覚えていないが、とりあえず留年していて週に1日しか授業がないから残り6日を使う旅行に出たとかなんとか言ったような気がする。

部屋に戻るとテレビで映画の「プルメリアの伝説」をやっていたので見ることにする。
松田聖子が結婚したので、記念に松田聖子の映画がテレビでやっているのである。お金を料金箱に入れて見る。
適当なところで眠ることにする。

料金箱のテレビは、コンセントを抜いておくとあとでコンセントを入れれば残りの時間分が見られるので抜いておく。
そして眠る。今日はニューワイド周遊券を全く使わなかったが、こういうのんびりした旅もいいだろう。おやすみなさい。

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