Sorry, Japanese only! (1997年11月)

117.最後の西鹿児島発寝台特急はやぶさ・2日目~3日目

鹿児島本線その1

入線

ころあいを見計らって、博多駅のドリームつばめの出るホームに行き、待った。

それでもまだ時間があるようで、何本か前の普通電車がホームに着き、お客が乗り、発車していく。

ぼくは普通列車を見送る。いったい何のためにずっとホームにいるのかと思われるだろうか。
それともドリームつばめを待っているとわかってくれるだろうか。

しばらく待つと、ホームの「次の列車」の電光掲示板がドリームつばめになった。ようやくやってくるようだ。
そしてドリームつばめが入線した。


乗車

しばらくは車両の清掃などでドアは開かずに待たされる。いつものことなので気にしてはいない。
だんだんぼくの後ろの行列が長くなってきた。

さらにドアが開くのを待っていると、ホームの向こうの方から、観光地では見かけるが、およそ夜行の自由席のついている列車には似つかわしくない光景がやってきた。

旗を持った女性に率いられて、団体客がやってきたのだ。

ぼくはぶったまげた。ドリームつばめって、パック旅行の一部にもなっているのか。

ぼくが指定席に乗り込むと、そこは半分以上がさきほどのパック客だった。ぼくの席のまわりだけ個人客がいるのだ。

どんなパック旅行か知らないが、座席夜行列車も一般の鉄道ファンでないお客に認知されたんだなあと改めて思った。


博多~熊本

12時が過ぎた。この列車はのぞみから接続しているので、ドドドッと客がやってくると思っていたが、そんなことはなかった。
そして発車時刻になった。ドリームつばめは博多のホームを発車していった。

まずは寝台特急なはとすれちがう。時刻表通りだ。さすがである。そして列車は博多の市街地を離れていく。

鳥栖、久留米と停車していく。ここは指定席だから客の動きはないが、ホームの方は自由席から降りた人たちがぞろぞろ通り過ぎているようである。自由席のついている夜行列車は通勤客がたくさん乗っているのである。

羽犬塚で隣の人が降りていった。


熊本~八代

大牟田を過ぎ、熊本まで来ると通勤客はいなくなったようである。

さて、もうすぐ目的地の八代である。

半年前に乗ったソニックも豪華な車両だったが、ドリームつばめもいい列車であった。
いつか昼間のつばめに乗って、ビュッフェに行ってみたいなあと思った。


八代駅

八代に着いた。ここで降りなくてはいけない。ぼくの持っている鹿児島・宮崎ミニ周遊券は、八代から肥薩線経由で鹿児島に行くことが認められており、話によるとものすごく景色がいいらしいので乗ることにしたのである。

鹿児島・宮崎ミニ周遊券のA券を見せて改札を出た。改札はまっくらである。ホームの方を見るとまだドリームつばめは停車していた。そういえば時刻表上では数十分停車しているようだ。ダイヤが変わらない限り、ここで降りてまた車内に戻ることができそうだ。

肥薩線

夜食

特急ドリームつばめを八代で降りるととりあえずそこにはコンビニがあった。
しかしコンビニでは飽きたらぬぼくは、待ち時間約3時間を利用してファミレスを探すことにした。深夜の熱海ですかいらーくを見つけたり深夜の浜松でドライブインを見つけたりした時の感動がまだ頭に残っているからである。

歩き出して振り返ると工場の煙突から煙が出ているのが見える。
ここも全国のあちこちに見られる駅と同様に、市街地の中心が駅から離れている所らしい。
さてファミレスは意外とあっさり見つかった。「長崎ちゃんぽんリンガーハット」だ。ちゃんぽんを頼んで食べきってもまだ2時間ある。駅に戻っても同じように列車を待つ人たちがぶったおれている。しかたなく眠らずに過ごす。


八代~大畑

ようやく時間が過ぎて人吉行きのディーゼル車が入って来た。乗ったとたんに眠ってしまう。
しばらくして目をあけると暗闇の中に川が見えたような気がするが、眠いのでまた眠ってしまう。そして人吉に着いた。

人吉で乗り換えた吉松行きのディーゼル車には小学生がたくさん乗っていた。引率の先生もいる。それでもなんとかあいている席を見つけて座った。片側が1列席になっていて、もう片側に小学生がたくさんいる状態だ。

そしてにぎやまなまま人吉を発車した。もう外は明るくなっているものの、霧がたちこめていてしばらくはあまり景色が良く見えない。だが、ディーゼル車が標高を上げていくと眼下に人吉の霧のかかったまちなみが見えてくる。なかなかおもしろい風景である。
それも見えなくなり、すっかり太陽のひざしがまぶしく車内に入り込んでくる。めまぐるしくディーゼル車は向きを変えているらしく、数分後には正反対の方向から太陽の光がさしこんできたりする。

そうするうちに左手にお墓が見えてきた。たしかものの本によるとここで事故があってたくさんの人が死んで、それで建ったお墓らしい。そしてすぐにディーゼル車はホームに到着。大畑(おこば)駅である。


大畑~隼人

そして発車。いったんバックする。お墓が左手に見える。また前進。今度は左にカーブする。するとさっきのお墓は右手に見える。そしてなおも山の中、いや、山の上を進んでいく。
とてもさわやかな景色である。

しばらく進むと次の駅、矢岳(やたけ)に到着だ。
矢岳で小学生はみんな降りてしまった。遠足らしい。お客は数人に減ってしまった。
小学生が座っていた所に行ってみると、座席の所にたたみが敷いてあって、靴を脱いで座れるようになっていた。とりあえず座ってみる。

なおもディーゼル車は山の中を進んでホームのような建造物を通り過ぎ、バックしてホームに入った。ここが真幸(まさき)駅だ。
駅を発車するとディーゼル車はどんどん標高を下げていく。そして盆地になり、終点吉松に着いた。

吉松で鹿児島・宮崎ミニ周遊券のA券を改札に渡して外に出た。いちおうバスは出ているらしいがかなり本数は少ない。1時間半に1本くらいで、あまり使われてなさそうだ。深呼吸をしてまたホームに戻り、隼人行きに乗った。あとは特におもしろい景色というわけでもなく、またうとうとしながら隼人に着いた。

日豊本線

隼人~鹿児島

隼人(はやと)で列車を待っていると、国分(こくぶ)駅の方から指宿枕崎(いぶすきまくらざき)線の喜入(きいれ)行きのディーゼル車が到着した。
さすがに連休だけあって混雑していて座れなかった。とりあえず窓から景色をながめる。
そのうち噴煙を上げている桜島が見えてきた。

そういえば大学の英語の教授が鹿児島にいたことがあって、桜島の火山灰の話をよくしていたなあ、と思い出した。

桜島は鹿児島にとって大事な観光地であるはずだが、これだけの地元民が火山灰で迷惑しているんじゃ素直にいい景色だななんて喜べないな、と感じた。

左は海、右は山肌が見える景色を進んでいく。どんどんディーゼル車は混雑してきた。


鹿児島~西鹿児島

やっと鹿児島駅に着いた。お客がどんどん降りていき、やっと座れた。
左側に、なんだかとても広い屋根付き駐車場のような場所が見える。
ひょっとして以前はここの空間を利用して鉄道の郵便を扱っていたのではないかと想像してみる。

さらにディーゼル車は進み、トンネルに入っていった。まちなかにこんなトンネルがあるなんてすごいなあ、と思った。
そして西鹿児島、さらに客が降りた。
ここは多少ホームの数の多い普通の駅のように見えた。


西鹿児島~谷山

また発車だ。西鹿児島を過ぎると左手に車庫が見えた。こっちのディーゼル車が通っている線路には架線がないのに、車庫の方には架線がある。山陰本線の西出雲駅の西の車庫と同じだ。ただしあっちは畑の中にあるのに、こちらはまちなかにある。

ぼくは市電に乗るため市電の終点の近くにあるらしい谷山駅に降りようと思った。
もうすぐ谷山駅、というところまで来たが、まだまだ市内のようだ。

そしてディーゼル車は谷山駅に到着した。
寝台特急はやぶさが発車するまでの約2時間を利用して市電にできるだけ乗ろうと考えていた。

鹿児島市電1系統

谷山~郡元

隼人から乗ってきた喜入行きのディーゼル車は市内を進んで谷山に到着した。ここで降りて鹿児島市電に乗り換えだ。現在午前11時ごろなので、市電に全部乗るのはむずかしそうだ。

でも指宿枕崎線に今回枕崎まで乗っていないことだし、残ったらその時にでも乗りに来よう、と思った。
車通りの多い道路があるが、そこには市電は走っていないので、西鹿児島の方向に歩けば駅があるだろうと思って歩き始めた。川がある。前日広島で美しい川を見たばかりなのであまり特別なことも思わない。

しばらくすると市電の谷山駅に着いた。京都にある京福電鉄の帷子ノ辻(かたびらのつじ)に似た、多少ホームの暗い駅で、そこから1系統は出ていた。乗り込んでしばらくすると市電は谷山駅を発車した。
しばらくは専用の軌道を走っていたが、やがて道路の中央を走るようになり、郡元に着いた。この駅は安全地帯が2個あった。前の日乗った広島電鉄の紙屋町と同じだ。

西鹿児島駅前に向かう2系統に乗り換えるのは2番目に停車する方の安全地帯であると案内されていた。それならなぜ1番目に停まる方の安全地帯があるのかわからないが、そういうものらしい。


郡元~鹿児島駅前

郡元の2番目の安全地帯でかなりのお客が降りていった。そしてしばらく、客が多すぎず少なすぎずの状態で市電は進んでいく。ふと車内を見ると、祭りのため一部区間を運休するという案内があった。それも今日の午後3時からとのことだ。やばいやばい。当初の予定通り下りはやぶさで西鹿児島に来て、上りドリームつばめと新幹線で帰る計画だと運休にぶちあたるところだった。まあそれはそれでおもしろいのかもしれないが。

高見馬場を過ぎ、時刻表の夜行バスのページに出ている「天文館」や「いづろ」といった駅を通り過ぎ、もう少しで鹿児島駅前、というところでしばらく停車となった。前日乗った広島電鉄でも宇品の駅で同じことがあった。駅のホームに電車がいっぱいだとホームから電車が発車するまで到着できないのだ。宇品では5分ほど待ったがここでもそうらしい。勝手知ったる人は前の駅で降りて歩くのだろう。
なんとか鹿児島駅前に着いた。ここで2系統に乗ることにする。

鹿児島市電2系統

旅行記本文

鹿児島駅前から西鹿児島駅前を経由する2系統に乗ることにする。
もう12時になっているのでここから西鹿児島駅前に着いたらはやぶさの発車時刻になるようだ。

市電は高見馬場を過ぎると右に曲がり、繁華街を過ぎていく。

それにしても、JRの鹿児島~西鹿児島間がトンネルになっているのはなぜなのか、非常に不思議である。でもおかげでこの市電通りが栄えているのなら、英断なのかもしれないと思う。

そうこうするうちに西鹿児島駅前に着いた。もちろんお客がたくさん降りる。最後に降りようと思って待っていると、目の前の人は両替を始め、なぜか扉が閉まってしまった。降りま~すと言って、お客と両替機の間を割り込んで降りた。そしてさきほどは隼人から谷山まで乗ったディーゼル車で通り過ぎただけの西鹿児島駅に向かって歩き出した。

鹿児島本線その2

おみやげ

さきほどは西鹿児島では降りなかったため、外から西鹿児島の駅をながめるのはこれが初めてということになる。

駅に近づくと、エスカレーターが2本並んでいるのが見えた。

なんだか博覧会に出てくるような、巨大なパビリオンのような建物である。
とりあえずこれに乗らないと先に進めないので乗って昇った。

そこは改札だけでなく、きっぷ売場、みやげもの屋などがひとかたまりになった場所であった。特にみやげもの屋がとても充実していた。まずは何か買っていこうと考えた。

今になってこの駅の構造について考えたが、ここ鹿児島は台風が良く来て、そのたびに洪水になる街なのである。

だから主要な設備は2階に置いておけば洪水を避けられると考えたのかもしれないなあ、などと思っている。

今回は九州には来たが、博多ではめんたいこを買っていないため、この駅で実家へのおみやげを買うことにした。
つけものがよさそうだ。買って送ってもらう。


駅弁

もう12時半だ。もう改札を入ってもいいだろうと思い、鹿児島・宮崎ミニ周遊券のB券を見せて改札に入った。
このきっぷはあちこちまわるためのきっぷなのに、今回は1日だけで鹿児島を去ってしまうので、なんとなくもったいない気もするが、なにしろはやぶさに乗るのだから、そんなこと気にしなくてもいい気もした。

階段をおりてホームに行くと、つばめが停車していた。扉のそばには制服を着た女性が立っている。
おそらくグリーン車の改札を行う「つばめレディ」なのであろうと思った。

このつばめははやぶさの数分前に西鹿児島を発車するのだ。
しかもはやぶさは、大牟田でこの1時間後に発車するつばめに追い抜かれるのだ。

それを考えると、はやぶさが熊本止まりになってしまうのもしかたがないような気がする。

さて、ホームには駅弁屋がある。ここで駅弁を買っていこう。

並んでいる中からぼくは、「田の神弁当」を買った。寝台で食べることにした。
そのうちはやぶさが入線してきた。
もちろん短い5両ほどの編成だ。B寝台だけで、食堂車(正確には、弁当車)もロビーカーもついていない。A寝台も含めて熊本から連結されるのだ。


乗車

ドアが開いたので寝台に乗り込んだ。

はやぶさに乗るのは1年ぶりだけど、あの時は広島までだったので、行きは乗り過ごしたらどうしようとびくびくしていたし、帰りはものすごく眠かった。いや、今も眠いんだけど、せっかくだから熊本までは起きていたい、とこの時は思った。

そのうち向かいのつばめが発車していく。もうすぐ東京までの1列車に約20時間もいすわる長い旅が始まるんだなあと改めて思った。

ベルが鳴り発車だ。客車なのでゆっくり、ゆっくりと発車していく。はやぶさは鹿児島の市街地からあっという間に離れていった。

さて、田の神弁当を食べることにする。なかなかおいしそうな弁当であったが、なんだか見慣れないつけものがあった。口に入れるとげっまずい。ぼくの口に合わないものは九州にはけっこうあるようだ。とりあえず残しておくことにした。あとでごみ箱に捨てることにして、ひとまず駅弁を食べ切った。


景色1

窓の外を見た。

森が続いている。

しばらくの間、森しか見えない。

西鹿児島の近くはこういう風景が広がっているのだ。

そんな風景が長いこと続き、ようやく伊集院に着いた。
さらに串木野(くしきの)、川内(せんだい)と停車していくうちに、さわやかな東シナ海が見えてきた。
今日もきれいな海である。やっぱり海はいい。

そしてはやぶさは阿久根(あくね)に着いた。


同室

すると、母親とその娘2人の3人家族がやってきた。
娘2人は姉が大学生かOL風、妹が小学生といったところの年齢のようである。
先客のぼくを見てびっくりしているのだろうか。

それともいつものことだと思っているのだろうか。なにしろ寝台特急である。寝台特急にはぼくみたいなむさ苦しいいかにも鉄道ファンっていう男がたくさん乗っているだろうし。

そして3人のうちの娘の姉の方が、ぼくの横の荷物を指さして言った。

「荷物を上に上げていただけませんか」
「はい」

姉はぼくが荷物を上げたところにすわった。妹と母親は向かいにすわる。

なんともとりつく島もない会話であった。

妹が上段の寝台に昇るためはしごを昇り始めた。

う、やばい、このままだと妹のスカートの中が見えてしまう。あわてて海の方を向いた。
妹がはしごを昇る足音を聞き、どきどきしながら、海をずっと見続けていた。


景色2

姉の方が、やってきた車掌に弁当の注文をしていた。

なんでもここで注文を受けて、弁当は出水(いずみ)で積み込むそうだ。

なかなかのシステムである。

ぼくは西鹿児島で買った駅弁を食べていたので注文はしなかった。

そして窓をながめる。

あいかわらず東シナ海が見えている。さわやかな海である。

しかしこの車両がはやぶさとして熊本から南の海を見ることはもうすぐなくなるのである。

そんなことを考えながら、そのうちすわったまま眠ってしまった。

なにしろ、臨時大垣夜行、ドリームつばめと乗ってきていてほとんど眠ってないのである。


熊本~広島

目を覚ますと熊本を過ぎているようだ。女性たちは席にはいなかった。上の寝台に集まっているのだろうか。とりあえず隣に誰もいないので、横になることにした。
そして本格的に眠ってしまう。

次に目が覚めた時は、どうやら広島を過ぎたころのようだ。
食堂車の営業は広島までという話だし、なんとなく夕食を食べるよりさらに眠りたいと思ったので、ここでも何もせずに眠ってしまった。


岐阜

次に目が覚めた時は、腕時計を見るとどうやら岐阜の手前のようだ。女性3人は岐阜で降りるので、車掌さんが起こしに来た。

ぼくはカーテンごしに車掌さんに「東京まで行きま~す」などと言い、家族が去っていく足音を聴いていた。

家族がいなくなると、起きあがって荷物の中からおととい広島駅前のダイエーで買ったドリンクのカロリーメイトをグビっと飲み干した。買っておいてよかった。

なにしろきのうは夕食を食べていないのだ。


景色3

気がつくとすっかり夜が明けており、今沼津のあたりのようだ。東海道本線は熱海から小田原の間の海がとてもきれいなので、熱海を発車したら外をながめようと思った。

寝台の上の方を見ると、ゆかたがたたまれたままになっている。阿久根から岐阜まで乗っていた3人はゆかたは使わなかったようだ。ぼくも使わなかったし、やっぱりあまり使われていないのだろう、と思った。

丹那トンネルを過ぎて、熱海に停車した。さあ、カーテンを開けて海を見よう。

湯河原を過ぎたあたりから海が景色が開けてきた。

海だ。きのう見た東シナ海もいいが、この海もいい。きのうの海と今見ている海はつながっているのだ。
しばらくぼ~っと海を見ていたが、そのうち見えなくなり、小田原駅を通過していった。


ラウンジ

そしてぼくは、去年はやぶさに乗った時と同じように、荷物をまとめてラウンジに向かった。

ラウンジのシートにすわり、平塚、藤沢、大船と、通勤客でいっぱいのホームをぼ~っとしながらながめる。

戸塚の山の斜面の団地を過ぎ、横浜に停車、川崎は通過だ。多摩川を渡っていく。ラウンジは快適である。

そして品川を出て、東京駅が近づいてきた。ラウンジは出口が遠いので、荷物を持って出口に歩くことにする。

そして到着。出口を降りた。

それにしても21時間も同じ列車に乗っていたのである。それもほとんど眠ってである。

疲れた身体を引きずりながら、東京駅の東海道線のホームをあとにした。

今回の旅行も無事終わった。あと1ヶ月たらずではやぶさは熊本止まりとなる。しばらくぼくは寝台特急に乗ることもないだろう。

東京からぼくはアパートに帰ることにした。

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