121.遠野とほっとゆだ・2日目~3日目
釜石線
釜石~遠野
釜石駅の改札を入って通路を進み、花巻行きのディーゼルカーのところにやってきた。
さすがにどこにでもある新型のディーゼルカーだった。乗ってロングシートにすわる。
釜石線には7年前に乗ったことがあるが、あの時は前の晩全く眠っていなかったこともあって花巻から釜石までずっと眠っていた。だから今回は景色をしっかり見ていたいなあと思った。
お客は学生とかがちょっと、年輩客もちょっとだけ乗って発車した。たちまち景色は田舎の景色になった。列車は谷間を進んでいく。大船渡線よりずっと人家は少ないようだ。
谷間を進んでしばらくすると、あれ?左手の下の方に今通ってきたレールが見える!
確かに左手下に10分ほど前に通ってきたレールが見えるのである。今は10分前と逆方向に進んでいるのだ。
よくわからないけど、あとで地図を見た時に釜石線のレールの配置を見てみようと思った。今の経験が夢でなければレールがヘアピン状になっている場所があるはずだからだ。
不思議な体験をした後、列車は大きく右に曲がり、森の中に入っていった。しばらく山の中、森の中をディーゼル車は進んでいく。
そして遠野からあと数駅となったところで広い盆地に入っていった。遠野はさすがに畑が広がる場所なのだろう。
かわいいこ
遠野に近づくと、意外にもけっこうしっかりした市街地に入っていった。
そして到着。ぼくはディーゼル車を降りた。まだ午後2時半なので多少は観光できそうだ。
鉄道の日記念・JR全線乗り放題きっぷを見せて改札を出た。さてどこを観光したらいいだろうか。
ぼくは観光案内所でも探してみようと思った。
どうやら駅を出て右にあるようなので行こうとすると、なぜか女子学生がしゃがみこんで、地面の方を見ていた。ん?これはもしかして?と思い近づいてみた。
女子学生の手の下には、やっぱり、というかかわいいねこがいた。しかもどでーんと横になって寝ている。女子学生が行ってしまったのでぼくはねこに近づいてみた。目の前は観光案内所だから人通りも多いはずなのに、そんなことは我関せずとどでーんと寝ている。
なでてみた。やわらかい。相変わらず寝ている。
今日はねこを2ひきもなでられて運がいいなあと思いながら、ぼくは観光案内所に入っていった。
観光案内所1
遠野駅のそばの観光案内所に入ると先客がいるのでしばらく待ち、客が去ったところで「どこを観光したらいいでしょうか?」と案内人らしき人に質問してみた。
案内人は地図を取り出し、ボールペンでその何か所かに印をつけて、
「ここは博物館になっています。ここに行くといいと思いますよ。ほかにいろいろありますが、離れた場所には自転車を借りて行くことになります。」
と教えてくれた。
ぼくは地図を受け取り、礼を言って案内所を出た。自転車を借りるのもなんだし、まずは歩いて行けそうな博物館に行こう。どうやら駅からまっすぐ南に行くと行けるようだ。
ぼくは南に進んだ。右手に今日ぼくが予約した「ホテルきくゆう」が見えた。駅に近い便利なところのようだ。まずは良し。
さらに南に進むと山につきあたる。遠野は東西には長い盆地が、南北にはそれほど長くないようである。地図を見ても北にはかなり広がっているようだが南はそれほどでもない。
博物館
山のそばにある建物が博物館のようだ。入って入館料を払うと切り取るところが3か所ある券のうち、1か所を切り取って渡された。
なんでもここのそばにあと2か所ほど博物館みたいな場所があって、そこにもここの入館料分で行けるらしい。
まずは入ってみた。
なにやら声が聞こえてくる。どうやら何か映画みたいなものを映しているらしい。
案内を見ると、う~ん、ちょうど半分くらい終わったところみたいだ。1時間に1本らしいのでちょっと待ち切れなさそうだ。
まあいいかと別の場所に行ってみた。
おとぎ話について説明されている案内コーナーがある。遠野ではいろいろなおとぎ話が生まれ、語り継がれているようだ。
そこからまた歩くと、昔の遠野について説明されている案内コーナーがある。なんでも遠野は盛岡などの内陸地方と、釜石などの沿岸地方の交流地点となっていて、それぞれの特産品を流通する市場になっていたとのことである。
武士のことについて説明されている案内コーナーもあった。岩手県地方でも武士は活躍していたようである。なかなか勉強になりそうな場所である。
いろいろなコーナーがあって見てみたが、どうやらひとまわりしたようなので、外に出て次の施設に行くことにした。
昔話村
地図を見るとちょっとだけ歩くと「とおの昔話村」という場所に行けるらしい。ちょっとだけ駅の方に歩くと見つかった。入口でさっき買った入館券を見せると1か所切り取られて中に案内された。
そこはたたみ敷きの、昔風の家のようであった。
しかしぼくの実家はまだたたみ敷きなので、それほど珍しいものでもなかった。
案内を見ると、ここも博物館みたいに1時間に1回、何か映画みたいなものが見られるらしい。ここはちょうどあと10数分待つと見られるようなので見ることにした。
館内を歩くと、ぼくの実家にもあるような床の間とかがあった。2階に上がり、そこでもいろいろ見て降りてきた。
ミシンとかもあったがさすがに古いミシンであった。なかなか年季が入っていていいなあと思った。さて、映画を映す場所に行こう。
なんとか映画を見せる場所らしき場所に行き、すわって待つ。他のお客も10人ほど来た。
映画が始まった。「ざしきわらし」という映画だった。
ざしきわらしという不思議な存在の話だった。なんでもざしきわらしのついた家は金持ちになり、ざしきわらしがいなくなると没落するとのことである。
なんだか不思議な話だなあと思いながら見ていた。そして映画が終わる。
あとは特に見るものもなく、次の施設に行くことにした。次の施設は「遠野城下町資料館」だ。
いいこたち
遠野駅の南の遠野市立博物館、とおの昔話村とまわり終えた。まずは昔話村を出る。
次に進む遠野城下町資料館は大通りを渡ったところにあるらしい。大通りを渡り、それらしい建物をたずねてみた。どうやらここらしい。
確かに博物館でもらった券で入れたのだが、ここは物を展示しているだけらしい。刀とか鎧とかが飾られている。とりあえずひととおり見て回った。
あとはもう用事もないのでいったん駅に戻ってみようと思った。北へと進む。
すると左手の駐車場に、またまたかわいいねこが2ひきもいた。
そーっと近づいてみた。手前のねこも奥のねこもかわいかったが、まずは奥のねこをなでようと、しゃがんでなでてみた。うーん、やわらかい。
しばらくなでているとゆっくりと歩き出したので、もう1ぴきのほうをなでてみた。そうしたらあおむけになって4本の足を使ってぼくの手をひっかこうとしてきた。
ぼくは右手を近づけておとりにして左手でなでたりした。いいこだなあ。
墓
十分なでたのでまた駅に向かうことにした。もう午後4時になっていた。
自転車でも借りようかと思い、貸自転車屋に入ってきいてみたが、借りられる時間が5時までなので、4時では貸せないと言う。うーん、しかたがないか。
ぼくは観光案内所でもらった地図を手に、どこか近そうな観光場所に歩いて行ってみようかと思った。
駅の北西に「太郎カッパ」という観光スポットがあるらしい。まずは歩いて行ってみようと思った。
踏切を渡り、てくてく歩いていく。バイパスにたどりついたので西に歩く。山が近づいたところで北に曲がる。
いろいろな案内があった。案内通りに進むと昔の人のお墓とかあったりする。遠野は観光都市である。広い範囲に渡って観光スポットが散らばっているようである。
1時間ほど歩いた。すると木々に囲まれた、小さな池を見つけた。
池に近づいてみると、カッパの形をした置物がある。どうやらここが「太郎カッパ」らしい。
よくできた置物である。池の向こう側にもう1個ある。
就寝
なんともよくわからないなあ、まあいいかと思った。駅に戻ろう。
また1時間かけて駅に戻るともう午後6時である。ホテルきくゆうに向かい、チェックインした。今日はホテルで食事を用意してもらっている。
ホテルの食事は食堂でみんなで取る方式だった。見るとしゃぶしゃぶがある。
目についた生卵のタレを、ごはん用だと思い、ごはんにかけた。かけてから気がついた。これ、しゃぶしゃぶのタレじゃないか。
しかたがないのでしゃぶしゃぶはしょうゆにつけて食べることにした。肉がいいのでうまかったが、最高の食べ方ではないんだろうなあ。
食事を食べ終わり、部屋に戻って風呂に入る。今日はだいぶ歩いたし、もう9月で「夜もヒッパレ」が終わってしまっているのであまり長く起きている必要もない。
早々に寝ることにした。夜行バス明けだし、ぐっすり眠ることにする。おやすみなさい。
起床
目が覚めた。
ここはJR釜石線の遠野駅のそばにあるホテルきくゆうの1室である。
今朝は朝食もホテルで頼んでいるので食堂に食べに行こう。
朝食である。きのうしゃぶしゃぶのタレで生卵を使ったせいか、今日の朝食には生卵はついていない。
なかなかバランスを考えているようである。納豆とか味付けのりとかはあり、今日も朝食をおいしく食べる。
そしてしばらく部屋で休むと花巻行き列車の時刻が近づいたのでホテルをチェックアウトする。まずは大通りを渡る。
大通りを渡った先の酒屋をのぞいてみると、あれまあかわいい黒いしましまのねこがいる。いいこだねと言って近づいてみるが、さすがに今日は「フーッ!」とふかれてしまう。なでるのは無理みたいだ。駅に行こう。
今日はまずは遠野から新花巻に行って降りることにしている。とあるところで得た情報によると、新花巻の近くに宮沢賢治関連の観光施設があるらしいからである。
遠野~新花巻
改札に鉄道の日記念・JR全線乗り放題きっぷを見せ、2日目のところにスタンプを押してもらって通った。
じきに花巻行きがやってきた。一ノ関からずっと乗り続けている新型のディーゼル車だ。
乗ると出発する。盆地の中を出発である。
釜石線は、遠野から花巻寄りはそれほど高い山があるわけでもなく、なだらかな山を見ながら進んでいく。
そんな景色を見ながら進むと前方に新幹線の高架が近づいてくる。新花巻が近づいたのだ。
そして高架の下をくぐってちょっと進んだところに釜石線のホームがあった。新花巻着である。
新花巻駅
ここの駅は、外に出るには地下道を通らなければならない。駅員にきっぷを見せて地下道を通り、新幹線の駅のところまでやってきた。さて観光地にはどう行ったらいいだろう。
案内を見ると、なんとタクシーのだいたいの運賃が書いてある観光地の図がある。そしてぼくが行こうかなと思っていた宮沢賢治の資料館も図の中にある。確かに新花巻が駅で言えば一番近いのだが、タクシーで行かないと行けない距離のようだ。
いろいろ考えたが、やはりタクシーを使うのはやめにして、資料館にも行かないことにした。ちょっとだけ散歩して新花巻は終わりにしようと考えた。
大通りをちょっとだけ西に進んでみる。車通りが多い。駅に近い観光地っていうのは本当に少ないんだなあと、このごろ旅行の目的を乗りつぶしから観光に切り替えて以来感じている。
特におもしろそうなものもなさそうなので新花巻駅に戻ってきた。
もう少し良く探したら、バスの停留所を見つけた。しかし資料館に行くバスは1時間後である。いろいろ考えたが、やはりこのまま次の列車に乗り、花巻に行ってしまうことにした。
また地下道を通り、釜石線のホームにやってきた。ホームから新花巻駅の駐車場が見えた。
都会の人間にとっては駅は市街地にあった方が便利だが、車を持っている人間にとっては駅は駐車場の土地のある郊外にあった方が便利なのかなあと思った。
じきに花巻行きのディーゼル車がやってきた。さあ、乗ろう。
新花巻~花巻
新花巻駅から花巻行きのディーゼル車に乗った。ディーゼル車が発車していく。
地図上ではそんなに距離がなさそうに見える新花巻・花巻間だが、けっこう距離があり、しばらくは田舎の景色が続く。
やがて都会の景色に移り変わり、東北本線のレールも見えてきて、花巻に到着した。
鉄道の日記念・JR全線乗り放題きっぷを見せて改札を通った。
さて、ここでも観光の時間を若干取ってある。はたしてここでは観光できるだろうか。
観光案内所2
駅を出て右手に観光案内所がある。行ってみた。
そこには先客がいた。どうやら今日の宿を決めようとしている人のようだ。
こんな3連休に予約も無しに宿が決まるわけはないとは思ったが、なんとか決まりそうなようだ。
ぼくはその間に、壁に貼られた地図を見てみた。岩手県の地図だ。
きのう通った釜石線の釜石~遠野間を見てみた。ヘアピンの区間がはたしてあるのだろうか。
あった。釜石から出たレールが北西に寄り道し、向きを変えて南東に向かっている路線が確かにあった。
理由が果たして勾配のせいだけなのかはわからないが、おもしろいなあと思った。
そのうち先客の話も終わったようなので、案内人に、「このへんで観光するとしたらどこでしょうか?」ときいてみた。
しかしまっさきにあがったのは、さっき新花巻で行かないことにした宮沢賢治の博物館だった。
次にあがったのは、どこかわからないがとても遠いところらしかった。
結局何も得られずに観光案内所を後にした。
花巻駅前~賢治詞碑
すぐそばにバス停がある。そこには「賢治詞碑」と書かれていた。
どうやらこれも宮沢賢治関連の名所の1つらしい。新花巻とは違ってすぐバスはやってくるらしいので待つことにした。
バスがやってきた。お客はわずかである。
花巻駅前を出て、市街地を進んでいく。
市街地を通り抜け、商店街から住宅街へと移り変わっていく。
お客もどんどん降りて、ぼくだけになってしまった。
川を渡り、住宅街のまんなかが終点、賢治詞碑だと言う。
どうやら観光名所はもう少し歩いたところにあるらしい。ちゃんと案内板が出ている。
案内に沿って歩いてみた。
ややまばらな住宅街である。近くには農業でもやっていそうな家があった。ちょっと道を間違えたりしながら進むと、木々に囲まれた広場に出た。
賢治詞碑~花巻駅前
そこには字が彫られた石碑があった。どうやらこれは宮沢賢治の書いた文らしい。
行き止まりの広場で、東と南はがけになっていて、下は田んぼになっているようだ。
宮沢賢治の案内もある。なかなか雰囲気のいいところだ。ぼくの実家の近くの神社に近い雰囲気の場所である。
案内を見ると、どうやら宮沢賢治は40歳にならないうちに亡くなったらしい。
有名な人は早くに亡くなってしまう人も多いようだ。
ぼくは職場ではぬけがらのように過ごし、旅先で生気を取り戻すような空虚な生活をしているが、宮沢賢治よりは長生きしそうである。
はたして名を残して早死にするのと名を残さずに長生きするのとどちらが幸せなのかなあと考えさせられるひとときであった。
さて、戻ろう。
さっきバスが降りたところに1台バスがいる。近づいてみるとドアが開き、乗るとすぐに発車した。どうやらぎりぎり発車時刻のようだった。
きのう釜石でバスが間に合わなかった分、今日は運が良いようだ。今日はここから北上に行って北上線に乗る予定だが、どうやら予定の列車に間に合いそうだ。
東北本線
花巻駅周辺
「賢治詞碑」というバス転回場からバスは花巻駅に向けて走り出した。
そのうち市街地になり、客も何人か乗ってくる。
花巻もいろいろな駅と同じく、市街地が駅から離れている駅のようだ。
これから昼食にする予定だが、もしかしたらこの市街地で降りた方が昼食を食べる場所が見つかりやすいのかなあとも思った。
しかし、結局花巻駅まで乗ってしまった。さて、駅前でどこか昼食が食べられる場所があるだろうか。
なんとなく、駅の右手からくだりの坂道を見つけた。こっちに食堂がありそうな気がする。
どんどんおりていき、交差点にさしかかった。看板が出ている。右手にわんこそば屋があるそうだ。
なんとなくわんこそばは食べたくないなあと思った。よし、左に行こう。
昼食
左に曲がってしばらく行くと全国どこにでもあるような小さな中華料理屋を見つけた。よし、ここにしよう。こういう店がうまいんだ。
店に入ったはいいが、はたしてラーメンがうまいかどうか気になる。ここはやきそばにしようと思い、やきそばを注文した。
テレビののど自慢を見ながらやきそばを待つ。のど自慢は好きな番組なのである。
やきそばがやってきた。ずるずるずる。今日もうまい。ぼくの店を探すカンは今日も衰えていないようだ。
店のほかの客に小学生が2人いた。小学生のところにラーメンがやってきた。なかなかうまそうだ。ラーメンでもよかったか、と思った。
やきそばを食べながらのど自慢をくいいるように見ていると、店の奥さんが
「歌は好きですか?」
と質問してきた。
「のど自慢の番組が好きなんです。」と言うと、
「のど自慢のどこが好きですか?」
と質問されたので「あのアナウンサーが好きですね。」とこたえた。
やっぱりあのどことなく普通の人っぽいアナウンサーが、参加者と珍妙なやりとりを繰り広げるのが、のど自慢の歌以外のおもしろいところだろう。
のど自慢は途中だが、やきそばも食べ終えたし、そろそろ駅に戻らないといけない。お金を払って行こうとすると奥さんが
「きっぷを落とさないように気をつけてくださいね。」
と言ってきた。
ぼくはずっとポケットに鉄道の日記念・JR全線乗り放題きっぷを入れているので見るからに落としそうだったのだろう。
「気をつけます。このきっぷで東京に戻らなければならないので。」と言って店を出た。
花巻~北上
坂をのぼって駅にやってきた。待合室に行くとちょうどのど自慢の表彰をやっているところだった。
さて、今日はきのうと違ってコンビニで買い物をしていないため、飲み物が乏しくなってきた。
駅の売店で飲み物をちょっとだけ買っていく。そしてきっぷを見せて改札を通った。
この駅は改札の前は釜石線のホームで、東北本線のホームは階段を昇っておりたところにある。まずは東北本線ホームに向かう。
今度来る列車は北上止まりの電車なのでそれほどお客はいない。
待つと電車がやってきた。いつもの紫の模様の電車だ。
しかしいつもと違い、電車の表面に広告が書いてある。まるで土佐電鉄の市電のようだ。
JRもいよいよ広告だらけの時代になったんだなあと思った。電車に乗る。楽にすわれた。
ドアが閉まり、発車する。やっぱりディーゼル車と違い、電車は独特のリズムで走っているような気がする。
新花巻と花巻の間も意外と距離があったが、花巻と北上の間もけっこう距離がある。人家が多くない場所を電車は通っていく。
そして北上である。北上止まりのせいか、電車は西寄りのホームに到着するようだ。どうやらこれから乗る北上線に階段の上り下りなしに行けるホームのようだ。
電車は北上駅に到着した。全員降りた。ぼくは北上線のホームへと向かっていった。
北上線
北上駅
花巻から乗ってきた東北本線の電車を降り、北上線のディーゼル車へと向かう。
北上線に乗るのは5年ぶりである。あの時は「秋田リレー号」という特急が通っていたが、今はもう北上線には普通列車しか通っていない。
北上線のディーゼル車も一ノ関から花巻まで乗ってきたディーゼル車と同じような、新型のディーゼル車である。もっともこの形の列車が走り出してから多少時間がたっている。
乗り込んですわる。そのうちどんどんお客が乗ってきて、立ち客が出るようになった。北上線は列車数が少ないわりに客が多いのである。
発車時刻が来て発車する。たちまちディーゼル車は市街地を離れ、田畑の広がる場所を通っていく。
北上~ほっとゆだ
そう言えばぼくが北上線に乗ったのは2回だが、冬に通ったので2回ともダイヤから遅れていた。1回目、7年前は北上発が数十分遅れていた。そのままの遅れで横手に着いた。
5年前、秋田リレー号に乗った時は、北上目前になって強風のため徐行した。はたして今日は遅れずに行けるだろうか。遅れなければ初めてのダイヤ通りの北上線ということになる。
列車は各駅に停車していく。今日はかなり降りる人がいるようだ。
鉄道の日記念きっぷが使える日なので、それを使う若い客がいるかと思ったが、過去2回よりは少ない。
そう言えば過去2回はいずれも青春18きっぷの時期だった。やはり割高な分だけ鉄道の日記念のきっぷの方が使う人が少ないのだろう。
今日は沿線にある有名な駅、ほっとゆだに行く予定だ。ほっとゆだで降りてから次の列車に乗るまでの約2時間を有効に過ごそうという計画なのである。
そんなことを考えているうちに、ディーゼル車は山あいに入っていった。川が見える。
そのうち広い湖に出る。ゆだ錦秋湖(きんしゅうこ)と言うらしい。川をせきとめて作ったダム湖のようだ。
それを過ぎ、鉄橋を渡る。するとほっとゆだ駅に到着だ。過去2回は降りる客を見送り、乗ってくる客を迎えるだけだったが、今日はぼくが降りるのだ。ここまではダイヤ通りに来られたことになる。
博物館1
駅前を見渡す。旅館が出しているっぽいマイクロバスが多いようだ。やはり3連休ということで今日泊まる人も多いのだろう。
ほっとゆだは温泉地で、ほっとゆだを中心として南北かなり広い範囲に渡って温泉が出ているようで、各地からの旅館のバス、それから路線バスが集まっているのだ。こういうのを見ると温泉街に来たんだなあと感じる。
もっとも、一番有名なのは駅に併設した温泉であろう。今日ぼくはそれめあてでここに降りたのである。
でも2時間も風呂に入っていたら湯当たりしてしまうので、1時間くらいどこかで過ごしたい。
そして今日もあてもなく、駅から南に歩き、橋を渡っていった。
橋を渡り、ふと左手を見ると、なんだか博物館っぽい場所を見つけた。
入ってもいいかと思い、近づいていった。
入館料は100円らしい。
案内のお姉さんに100円払うと、お姉さんは館内の電灯をつけた。
どうやらぼく以外にお客はなく、お客が来た時だけ電灯をつけるようだ。
なんだかさびれているなあと思いながら、ぼくは博物館の中を見てみることにした。
博物館2
ほっとゆだ駅から南に進み、左手にある博物館に入ってみた。
そこは、ほっとゆだ周辺の歴史を語る博物館だった。
ほっとゆだ周辺は、3年に1回凶作になる寒い土地だったらしい。
そして農業の他に銅を掘っていたという話である。いろいろ大変だったらしい。
ぼくは遠野のことを思いだした。
ここに比べると遠野は豊かだなあと感じた。
ここには遠野みたいな民話が生まれる余地はなかったのかなあと感じた。
民話は豊かな土地に生まれるものなのかもしれないなあと思いながら博物館を後にした。
デッサン館1
さて、次はどうしよう。
博物館からさらに進むと美術館っぽい場所がある。
しかし良く見ると玄関にあるような呼び出しボタンがあり、「ご用のある方はボタンで係員を呼びだしてください」とある。
なんだかたいへんそうだなあと思い、別の場所に行くことにした。
住宅街をぬって進んだ。進むとまた美術館っぽい建物を見つけた。
入ってみた。おばさんがいた。ここも入場料金は100円らしい。
100円払ってみると、なんだか遠野の博物館でもらった券と似たような券が渡された。
ここも遠野と同じく入場料金で別の建物の中にも入れるらしい。どうやらさっき通り過ぎてきた呼び出しボタンのあった建物らしい。どこでも良くあるシステムなのかなあと思いながら、中を見てみることにした。
ここの美術館は、ある1人の画家の描いた作品だけを展示している美術館のようである。
どうやらほっとゆだ周辺で生まれた画家の作品らしい。
デッサン館2
ここの建物は「デッサン館」と言って、画家の描いたデッサンを置いてある場所のようだ。
お客はぼく1人である。ほっとゆだに来る客は駅の温泉につかる客か早々に旅館に入ってしまう客ばかりで、散歩して博物館や美術館に来る客はいないのであろう。しかし3連休にこれしか客がいないのでは、ふだんも誰も来ないのではないだろうか。
デッサンを見ていると、この画家は外国の風景を描くことが多いようである。たまに盛岡駅を描いてあるが、SLのけむりらしきものが描いてあって、ずいぶん前から絵を描いていることがわかる。
なんにしてもこうやって美術館をかまえることができるのだからめぐまれた画家なのかもしれないと思った。
画家の中にはこの世を去ってから認められる、有名でも不遇な画家もいるという話だからである。
まあ、ぼくにとっては絵を見ても何もわかりはしないのだが、外国、おもにヨーロッパの古いつくりの家並み、町並みなどを見ると、行ったことのない外国などを想像させられておもしろいなあと思った。
さて、ここもひととおり見たし、さっきの呼び出しボタンのある建物に行こう。
ぼくはデッサン館を出て歩いた。途中犬がいたので頭をなでた。そしてさっきの建物に行き、呼び出しボタンを押した。
美術館1
ほっとゆだ駅の南にある美術館の呼び出しボタンを押した。
するとすぐそばの、つい数十分前に寄った博物館からお姉さんが出てきた。なんともやるせないがしかたがない。
お姉さんは美術館のドアの鍵を開けた。ぼくはお姉さんに、さきほどおばさんから買った入場券のもう半分を渡した。
そしてさきほどと同じく電気がつけられ、中に案内された。
中にはさきほどのデッサン館と同じ画家の描いた、今度は油絵が展示されていた。
外国の風景が描かれた絵ばかりが置かれていた。この画家は日本が嫌いなのだろうか?
まあ日本は「嫌いになるのに値する国」だから、外国ばかり描いてもいいのかもしれない。
ほっとゆだみたいな凶作続きの暗い土地から逃げ出して、広い外国を体験してみたかったのかもしれない。
ぼくは外国は嫌いなので行ってみたいとも思わない。全く逆に日本のことはまるで知らずに外国ばかり行っている人は、いまやとても増えてしまった。かなり昔からそういう考えの人もいるんだなあと思った。
美術館2
絵を見ると、風景ばかりでなく人物が描かれた絵もある。
しかしなんとなく人間離れした人物である。
首がひょろっと長いのである。
ぼくはもしかしたら、この画家は首が短くて、首の短いコンプレックスの裏返しとして絵の人物の首を長くしているのかなあなどと考えた。
そんなふうにして絵を見て回った。ふだんこういう絵に触れる機会もないからけっこう楽しかった。しかしわざわざほっとゆだに来てまで美術館に行かなくても、東京にもこういう美術館はたくさんあるはずだから、東京で見てみてもいいのかもしれないな、と思った。
もうそろそろ出てもいいだろう。ぼくはお姉さんに礼を言って美術館を出た。
温泉
腕時計を見るとほっとゆだ駅を降りてから1時間がたっている。もうそろそろほっとゆだの公衆浴場に行ってもいいだろう。
駅に行く途中の郵便局に公衆電話を見つけたので、実家に電話していく。今日はほっとゆだからずっと列車に乗りっぱなしの予定なので、今くらいしか電話をかける機会はないからだ。
橋をわたってほっとゆだ駅に来た。左手に公衆浴場の入口らしいドアがあるので開けてみた。
みやげもの屋らしい場所があり、ぼくと同じくらいの年の女性がレジっぽい場所にいる。
「今日はタオルを持ってきました」と言って女性にタオルを見せると、
「せっけんもシャンプーもありませんが、よろしいですか?」
と言ってきた。
ありゃりゃ。ここはせっけんとシャンプーを自分で持ち込まなければならない風呂らしい。その代わり入湯料は200円とのことである。
まあそういうルールならしかたがないか、体は洗わずにつかるだけにしようかと思い、200円払って脱衣場に向かった。
そして風呂に入った。今日は夜行列車に乗るからここが唯一の風呂ということになるので、ゆっくりつかっていく。
けっこう混雑している。ぼくと同じように列車で来た人が多いのだろうか。いや、やはり車で来て入っている人が多いんだろうなあと思った。
風呂から出て服を着て、脱衣場を出た。
見るとアイスクリームを売っているらしい。食べてみよう。
100円だった。消費税分得したなあと思った。アイスクリームを食べてひといきついた。
散歩
ほっとゆだ駅併設の公衆浴場に入って体を休め、風呂から出てきた。まだ次の横手行きのディーゼル車の発車時刻まで時間がある。
とりあえず散歩してみることにした。さっきは駅の南を歩いたから、今度は北を歩いてみよう。
駅の東に跨線橋があった。これを渡ってみよう。
渡ってみた。駅の北は住宅街である。
細い道を通って大通りに来た。自動販売機がある。あれ、ジュースが110円だ。買っていこう。
ジュースを買うともうすることもない。また駅に戻ることにする。跨線橋をまた渡る。
買い物
あとは売店である。なんだかうまそうな缶ビールがある。地元産らしい。よし、数ヶ月ぶりに飲もう。ここで買ってムーンライトえちごの中で飲もうか、と思った。牛乳も地元産がある。これも買おう。
そしてようやく発車時刻が近づいたので、鉄道の日記念・JR全線乗り放題きっぷを見せてホームに入った。
なんだかお客が少ない。この時刻にほっとゆだを離れる人も少ないのだろう。
そして横手行きのディーゼル車が定刻にやってきた。
ほっとゆだ~横手
乗ってさっきと同じ場所にすわる。ディーゼル車が発車する。今回の旅行はもう観光は終わりで、あとは移動だけである。
森の中をディーゼル車は進んでいく。日が暮れていった。天気にも恵まれたいい旅行だったなあ。
そのまま遅れることもなく、ディーゼル車は横手に到着した。はじめての定刻通りの北上線ということになる。
さて、横手では乗り換え時間が多少有るので、ここで夕食を仕入れておきたい。
横手には4年前の10月に降りて数時間を過ごしたことがあり、駅の近くにスーパーがあることもわかっている。ただしあの時は確か閉店セールだったような気がするけどなあ。でも同じ位置にまたスーパーがあるかもしれないと思い、ぼくはきっぷを見せて駅を出てその時のスーパーがあった位置へと向かった。
奥羽本線
横手駅周辺
横手駅を出て、駅前広場を横切り、横断歩道を渡って進む。
4年前には、確かこのあたりの左側にスーパーがあった。今もあるだろうか。
あった。名前は昔と変わっているが、確かにスーパーだ。よし、夕食を買おう。
スーパーに入り、食べ物を探す。よし、この牛丼がうまそうだ。
それからこのうどんも買っていこう。それから飲み物はいつも飲んでいる2リットルのウーロン茶ペットボトルがいい。
あとはお菓子を若干買って、レジを済ませてスーパーを出た。よし、そんなに時間はかかっていないから余裕で新庄行きの電車に間に合うだろう。
また横断歩道を渡り、広場を横切って駅に出た。鉄道の日記念・JR全線乗り放題きっぷを見せて改札を通る。
横手~新庄
階段を昇っておりて奥羽本線のホームに来た。そしてしばらく待つと新庄行きがやってきた。いつもの新庄より北の奥羽本線と同じ、ロングシートの電車である。
前の人に続いて電車に乗る。席は埋まっていたのでしばらく立つことにした。年輩の客より学生の方が多いようだ。ここは秋田県だが新庄は山形県なので降りる人もけっこういるだろう。
ドアが閉まり、電車は発車した。暗い中を電車は進んでいく。
北上線はお客が少なかったが、奥羽本線はけっこう多いのでなんだか安心する。もっとも、鉄道の日記念・JR全線乗り放題きっぷを使っている客は少なそうだ。
何駅かはあまりお客も降りなかったが、そのうちどどっとお客が降り、なんとかすわれた。
ウーロン茶を500ミリリットルのペットボトルに移し替えて飲んだ。列車の中は乾燥するので水気のあるものはできるだけとっておきたいものである。
そのうち山形との県境を越えたようだが、そんなにお客は降りない。新庄まで行く客がけっこう多いらしい。
そして山形側のお客がちょっとだけ乗ってくる。もっとも夜なのでそんなに多くはない。
新庄駅
そのまま電車は終点、新庄に着いた。
新庄を降りると余目(あまるめ)行きの陸羽西線に乗り換えなければならない。
新庄駅のホームはH型をしている。なにしろ、山形から来るレールは標準軌なので新庄から先に行けないから行き止まりホームで良いのである。
その他のホームもそれぞれ行き来があるわけではないのでどれも行き止まりホームで良く、それを考えるとH型が一番都合が良いのである。
横手から来た電車がHの右上の棒だとすると、余目行きディーゼル車は左上の棒の位置にすでに停車していた。そして階段無しに楽々乗り換えである。
今日乗る列車ももうちょっとだ。がんばろう。
陸羽西線
旅行記本文
新庄駅で、余目行きのディーゼル車に向かった。この列車は北上線より若干新しそうな列車であった。
ディーゼル車に乗る。陸羽西線に乗るのは8年ぶりである。あの時は青森行きの急行津軽から乗り換えた。でも酒田までずっと眠ってしまったので景色を見ていない。
今日ももう夜なので景色は見られない。夜景は見られるだろうし、最上(もがみ)川沿いを走るはずだからずっと平野だろう。
2列席と1列席の列車である。1列席に乗り、まずは横手で買った牛丼を食べることにする。
お客もちょっとだけ種類が変わった。どうも鉄道の日記念・JR全線乗り放題きっぷ客が多そうな気がする。
と言うのも、この列車は余目で村上行きの列車に乗り換えると、村上から夜行のムーンライトえちご新宿行きに乗り換えられる列車なのである。
どうもその列車に乗りそうな感じのする若い男たちが多いのである。
いつもの旅行に戻ったような気がして安心する。ディーゼル車は発車し、新庄駅を離れ、景色は暗くなった。
牛丼を食べ終わると次はうどんだ。遠くに明かりが見える。このあたりは市街地からかなり離れた場所を通っているようだ。
駅にいくつか停車し、いよいよ余目だ。うどんも食べ終わって余目を待った。どうやらここまではきちんとダイヤ通りに行けそうだが、はたして次の村上行きがダイヤ通りに来てくれるだろうか。
ディーゼル車は余目に着いた。ぼくは階段を上がり、おりて羽越本線のホームに向かった。牛丼とうどんのおかげでかなりおなかがいっぱいになった。
羽越本線その1
余目駅
余目駅のホームには、いかにも鉄道の日記念・JR全線乗り放題きっぷで旅行中で、これから村上行きの列車に乗ってムーンライトえちごに乗ろうとしている若者たちが10人ほどいた。
その1人であるぼくも(もう「若者」ではないのだが)ホームでぼーっと列車を待った。
ふと、レールを見てみた。
以前寝台特急日本海や寝台特急あけぼのに乗ったことがあるのだが、それらはみんなこのレールを通っているのだ。
寝ているうちにこのレールの上を通過したんだなあと思うとなんだか不思議な気分である。
そんなことを考えていると村上行き列車が到着する時刻になった。
到着である。なんだか今まで乗ってきたディーゼル車よりも多少古そうなディーゼル車だなあと感じた。
余目~村上
乗ってすわって釜石で買った雑誌を読み、しばらくまどろんだ。鶴岡を過ぎると海も見えるはずだが、月も出ていないし、この暗さでは海も見えないだろうと思った。
けっこう車両数の多いディーゼル車で、おそらく余目で乗った客のほかに酒田から乗ってきた客もいるはずだが、分散しているらしく見えない。まあ村上ではみんないっしょになるんだろうとは思うが。
数少ない地元のお客が乗り降りするうちに列車は山形県から新潟県へと移動していたようだ。
どうやらこの列車もダイヤ通り運行しているようで、何事もなくムーンライトえちごに乗り換えられそうである。
そして列車は村上駅に到着した。
ムーンライトえちごに乗り換えるには階段をおりて昇る必要がありそうだ。けっこうなお客が乗り換える。そして目の前にはぼくをたいくつな生活に戻していく列車が停車していた。
乗り換え時間も短いことだし、いったん列車に乗ってから指定席券に書いてある席を探そうと思った。
羽越本線その2
村上駅
ムーンライトえちごに乗り、指定席券を見ながら自分の席を探した。無事見つけた。もちろん空席だった。
ムーンライトえちごは村上~新潟間は全席自由席なので、無理に指定席券の席にすわる必要はないが、新潟からは指定席なのであらかじめすわっておいた方がいいだろう。
席はうしろを向いていた。東京行きこまちが秋田を出る時に席がうしろ向きなのと同じ理由で、こまちが大曲で方向転換するのと同じようにムーンライトえちごは新潟で方向転換するのであらかじめうしろむきにしておいて、新潟から先が前向きになるようにしているのだろう。
ムーンライトえちごに乗るのは2回目である。名前が「ムーンライト」のころから通算すると3回目になる。1994年に新宿から新津まで、2000年に新宿から坂町まで乗ったので、上りは初めてということになる。
以前に乗った時と同じ、ちゃんとリクライニングするシートである。ただしシート以外の車両はどことなく古い感じのする車両である。
列車が発車すると、まずはほっとゆだで買ったビールを飲むことにした。最低でも車内改札があるまでは起きていなければならないが、それが済んだら眠ってしまうためである。
村上~新津
列車は暗い中を進んでいく。ほとんどお客はいない。ほとんどの客は新潟から乗ってくるのだろう。
そのうち列車は新発田を過ぎ、白新線に入っていった。多少街が近づいたのかもしれないが、深夜なのでほとんどわからない。
なおもビールを飲み、とうとう飲み終えた。ひさしぶりの酒なのでかなり酔った。新津を過ぎたら眠れそうだ。
電車は市街地に入り、新潟に到着した。酔っていたのでもうろうとしていたが、どかどかとお客が乗ってきて、たちまち満席になったようだ。
しばらくして電車は発車する。そして新津に停車だ。ここで日本海2号に追い越されるためしばらく停車する。
停車中に車掌がやってきたので指定席券を見せ、鉄道の日記念・JR全線乗り放題きっぷの最後のスタンプ位置に日付を押してもらう。
スタンプを押してもらうとぼくは安心したのかすぐに眠りに落ちてしまった。
新津~高崎
目が覚めた。
なんとなくぼくは、自分が今水上(みなかみ)にいるような気がした。
「水上!水上!水上!」と念じてぼくは窓の外を見た。
本当に水上だった。
いよいよぼくの旅人としての生活も板についたようだ。
おととしにも寝台特急出雲に乗っている時に、あたりの景色を見てそこが「和田山」のような気がして駅の看板を見たら本当に和田山だったことがあったりして、どんどん空間の感覚がとぎすまされていくような気がした。
そしてぼーっとしながら時間を過ごしているうちに高崎に着いた。そしてまた発車する。
まだ眠っていても良いはずなのだが、なぜか眠れない。
高崎~新宿
夜行連泊でなく、前日ホテルでちゃんと寝ていたということもあるだろう。新津から水上までの睡眠でけっこうなんとかやっていけているようだ。
でもアパートに帰ったらまたお昼まで眠ろう、そしてまだ1日JRに乗れる権利が残っているからどこか家の近くに行ってみようと思った。
そして横手で買ったウーロン茶を飲んで過ごす。
大宮、赤羽を過ぎた。赤羽~池袋間は、いつもこのレールを通る時に見るように、王子、上中里の駅が見えた後、トンネルをくぐって抜けた後に駒込の駅が見えた。そして巣鴨、大塚と過ぎていき、池袋に着いた。
ここまで来ると車内のほとんどの客はみんな起きたようで、新宿で降りるしたくを始める。そして池袋から新宿までの都会の風景を見ながら、ムーンライトえちごは新宿に到着した。
帰宅
列車からホームを見渡すと、意外にもホームはお客でいっぱいだった。
連休中に新宿で夜を明かした人がけっこう多いのだろう。
新宿は眠らない街と呼ばれているのがよくわかったような気がした。
乗り換えた新宿からのJRの列車も、そんな新宿で夜明かしした人たちでいっぱいであった。
ぼくは次に旅する時も、こうやって元気に旅して行きたいな、と思いながらたいくつな生活へと戻っていった。
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