Sorry, Japanese only! (1995年4月その3)

88.新潟・山形の私鉄めぐり

説明

某宗教団体が東京に某毒物をまきちらすといううわさが飛び交いました。

なんだか今すぐにでも東京を離れたくなりました。

いきなりですが、急行能登に乗って直江津に行き、きたぐにで新潟の方に行こうという計画が思い浮かびました。なんでも3月はじめまで売っていたハートランドフリーきっぷと同じような効力のきっぷが4月になっても残り、ウィークエンドフリーきっぷになるという話が時刻表に書いてありました。

しかし、このへんは既に越後線と弥彦線には去年の10月に乗っています。

ですが、蒲原(かんばら)鉄道と新潟交通にまだ乗っていなかったので、乗ることにしました。
2000年現在の今から考えるととても貴重な体験だったわけです。

さて、ウィークエンドフリーきっぷは2日間有効なので、新潟近辺に乗った後でどうしようか、と考えました。
あとは山形鉄道、阿武隈急行、そして東北本線の岩切~利府間が残っていました。どの順番で乗るかはその時になって考えよう、と思いました。

なんとかウィークエンドフリーきっぷ、急行能登が日付が変わる赤羽までのきっぷも買えて、出発となったわけです。

なお、告白いたしますと、ぼくは当時、某毒物をまいたのは某宗教団体をおとしめようとしている別組織なんじゃないかと本気で考えていました。

信越本線その1

山手線ホーム

山手線は無事上野駅に到着した。

上野駅は在来線ホームが上下2層構造になっている。この理由を説明しようとすると、昔縄文時代に地球の海面が上昇する現象が起きて…という話になるのでしないことにする。

急行能登は、下の層のホームから出発する。ここには昔会社の販売実習であさまに乗った時に来たことがある。
たまに東北本線からグウグウ眠ってしまった時に下の層に着いたこともある。いずれにしても雰囲気の良いところだ。

しのばず口寄りの階段で行った方が楽なのだが、なんとなく鶯谷寄りの階段を昇って大連絡橋に来た。そして、下の層に行く連絡口に着いた。中間改札がある。中間改札の手前にきっぷ売場もある。


中間改札

ぼくは今、赤羽行きのきっぷと、あしたとあさって有効のウィークエンドフリーきっぷを持っている。だから赤羽までの急行券を買わなければならない。きっぷ売場に行ってみた。

「上野から赤羽までの急行券をください」
「赤羽までの急行券?赤羽まで行くの?」
「いや、直江津まで行くんですが、赤羽から先はこっちのきっぷがあるから…」
「…520円です」

ぼくは100円玉3枚、50円玉3枚、10円玉7枚を出して急行券を買った。次は中間改札だ。

「急行能登に乗ります」と言って、ぼくは改札員に赤羽までのきっぷ、ウィークエンドフリーきっぷ、そして今買った急行券を見せた。
改札員はウィークエンドフリーきっぷを手にして不思議そうな表情をしている。

あせったぼくは説明を始めた。
「あの、このきっぷは、土日2日間有効の特急・急行乗り放題のきっぷで、4月に新しくできたんです」
「だったらなんでこれがいるの」
改札員は急行券を示した。
「いや、あそこに表示されている通り、能登は23時50分過ぎに発車で、赤羽で0時を過ぎるんです。ですからこっちのきっぷは赤羽から有効で、だから赤羽までのきっぷと、急行券が必要で…」
「なるほど…正解です。」


就寝前

なんとか中間改札を通してもらった時には能登はホームに入っていた。

いつも乗っている大垣行きの夜行や、去年宇都宮から東能代まで乗った津軽と同じで、ぎゅうぎゅうかと覚悟していたが、なんとか通路側の席が取れた。

一息ついているうちに、サラリーマン風の人たちがどやどやとやってきた。ぼくもサラリーマンで、背広を着ているか着ていないかの違いだけなのだが。
立ち客はいるが、大垣行きの夜行よりは若干おだやかな雰囲気で、上野駅を発車していく。

もちろん尾久を通過する。ここもけっこう雰囲気のいい景色だ。そして赤羽だ。列車は荒川を渡ってさらに進む。

大宮を過ぎて上尾に着いた。

ありゃ?サラリーマンがどんどん降りていくぞ!
熊谷までの間に、立ち客はいなくなり、空席ができた。大垣行きの夜行では考えられないことだ。
いつもこうなのか。

とりあえず2列席があいたので、窓側の席に移る。ほっと一息、たちまち眠ってしまった。


長野県内

ふと目が覚めた。窓から田んぼが見える。もう軽井沢を過ぎて、上田のあたりを走っているらしい。

田んぼの中に見えるものがある。立派な建築物だ。あれが高崎と長野を結ぶ新幹線の路盤なのだろうと気がついた。
オリンピックが3年後にあるのだ。だから2年後にはなにがなんでも完成させる必要がある。東海道新幹線もそうやって完成した。札幌の地下鉄もそうかもしれない。

すっと眠っていたが、この能登は横川でうしろに強力なパワーの電気機関車が連結されて、軽井沢まで押し上げられたらしい。そしてその費用が莫大で、新幹線を作って走らせた方が安上がりであるらしい。

そんなわけで横川と軽井沢の間は廃止されるのだ。

だれかが、もしも東京のオリンピックがなかったら、新幹線がなかったら、という予想を立てたらしいが、あまり細かい予想はできなかったようだ。でも、国鉄は存続していたに違いない。毎年ストライキばかりやっているかもしれないが。

この立派な建築物がどのくらい役に立つのか。それはまだわからない。

能登は長野に着いた。どやどやお客がけっこう降りていく。ありゃ?
少なくとも能登が長岡まわりになったら、これらのお客は減ってしまうわけだ。能登はだいじょうぶだろうか。

そんなことを考えているうちにまた発車。立派な建築物は見えなくなった。


直江津駅

長野を出て、すっかりお客が減ってしまった能登は、暗いまま直江津に着いた。

降りたら雨が降っていた。

ここには改札員がいない。たしか去年北海道に行った時も白糠(しらぬか)の駅で夜行のおおぞらを待った時に駅員がいなかったなあ、と思い出した。まあこういうものなのだろう。

ぼくは赤羽までのきっぷと急行券を箱の中に入れた。駅員さんはなんと思うかなあ。キセルだと思うかなあ。それともウィークエンドフリーきっぷと併用したんだと気がついてくれるかなあ。

以前熱海で下りの大垣夜行から上りの大垣夜行まで1時間40分の間にお宮の松の所のすかいらーくまで行ったことがあるが、雨の中ではそんなふうにどこかに散歩に行くわけにもいかない。

そのまま新潟行きのきたぐにを待った。今日乗る蒲原(かんばら)鉄道と新潟交通って、どういうところなのかな、とはこの時はまだ考えてもみなかった。

信越本線その2

直江津駅

ここは直江津駅、今は土曜日の早朝である。

ぼくは上野から乗ってきた急行能登を降りたところである。現在新潟行きの急行きたぐにを待っているところだ。

ほかにも能登から降りた人たちが何人か駅で待っているが、数は少ない。そのまま2時間が過ぎ、きたぐにの到着が近づいた。

改札に駅員がやってきた。ウィークエンドフリーきっぷを見せて通り、きたぐにの出るホームに行く。
きたぐには寝台車が連結されているし、指定席もあるのでウィークエンドフリーきっぷだけで乗れる自由席は数が少ない。自由席の車両の停車位置に進む。きたぐにがやってきた。


直江津~柏崎

乗って自由席車両に入る。去年乗った急行津軽によく似た車両である。幅の広い4人がけボックスシートの車両である。網棚がぶかっこうで、どうやら寝台車として使えるようだ。
客は4、5人ほどしかおらず、楽に1ボックスに乗った。きたぐにはすでに直江津駅を発車している。

もう明るくなっており、やがて海が見えてきた。去年6月に通った区間であり、直江津から柏崎までは信越本線の中でも海がきれいな区間である。

なんにしても電車から見える海はいいものであり、ひとけのない電車からぼくはそのおだやかな海を見ていた。


柏崎~新津

柏崎を過ぎると内陸の区間である。長岡を過ぎてもまるでお客は乗ってこない。何度か乗った区間ではあるが、それでも季節が違うと左右の山々も違ったふんいきがあっておもしろいものである。

そしてようやくぼくが降りる駅、新津が近づいた。ドアに向かおう。
きたぐには減速し、ホームに到着した。ドアの外にはたくさんのお客がいる。
あ、そうだった、きたぐには新津から新潟まで普通列車になるんだったっけ。

ちゃんと普通列車としてお客を乗せるんだなあと思い、きたぐにを降りた。ぼくはお客が今まで急行だった電車にぞろぞろ乗るのをながめながら、これから乗る磐越西線のホームに向かうため階段を上がることにした。

磐越西線その1

旅行記本文

直江津から乗ってきた急行きたぐにを新津で降りる。降りたとたんにホームにいた客が乗り込んで、普通列車になって新潟へと去っていった。さあ、五泉(ごせん)に向かう磐越西線の列車に乗ろう。

磐越西線のホームに来たが、それほど客はいなかった。今度の列車は東京から上越新幹線の始発列車に乗っても間に合わないからそれほど客もいないだろう。

列車がやってきた。ディーゼル機関車に牽引された客車である。そう言えば去年12月も新津から会津若松まで客車に乗ったんだった。今度の列車も会津若松行きだ。

乗ってみるとけっこう客がいた。磐越西線の新津側は、会津若松まで行かない列車がけっこう多いので会津若松行きは混雑するようだ。結局去年と同じでボックス席に相席となった。そして発車。客車の発車は静かである。

新津の小さな市街地を出て、田んぼに出た。去年は雪の降る中を通ったから、雪のない景色は新鮮である。五泉まではそれほど時間もかからずに着いた。ぼくは客車を降りて、蒲原鉄道のホームを探すことにした。

蒲原鉄道

五泉駅

かなり客の多かった磐越西線の客車を五泉(ごせん)で降りた。さて蒲原(かんばら)鉄道のホームはどこだろう。

JRホームの南側に、なんとも古びたホームがあった。階段を上がっておりてそのホームにやってきた。
雰囲気としては、去年乗った鹿島鉄道の石岡駅や、関東鉄道の下館駅のような感じをさらに古くしたような感じである。

それにしても客車にはかなり客が乗っていたのに、降りてここに来るのはわずか数人である。
電車もとても古いものだった。ロングシートで整理券を出す機械がある。がらがらのロングシートというのはいかにもさみしいものである。そのうち発車である。


五泉~村松

電車は発車すると五泉の街を離れ、広い草原に出た。なんとものどかな風景である。
そして途中の駅に停車してドアが開いた。とともに整理券を出す機械が整理券を出した。
五泉や村松から乗る人は整理券は不要だから、なんとこの整理券はこの駅専用ということになる。これもなんともわびしく感じた。

また発車し、草原を電車は走る。そして終点村松に到着した。まずはウィークエンドフリーきっぷを見せ、運賃を払って電車を降りた。


村松駅

村松の駅は、建物だけは大きかったが、かなり古そうだ。いちおうここが拠点なのだろう。
しかし駅のまわりはわずかな家々の集落があるだけであった。駅のまわりがこんなふうでいいのだろうか。
ここより家が密集していても駅のない場所なんて全国にたくさんあるからなあ。わびしいなあと思った。


村松~五泉

さあ、帰ろう。きっぷを五泉まで買う。そして改札を通って電車に乗る。お客はやっぱりわずかである。また発車し、草原を通る。途中駅に停車する。
そしてまた発車し、草原を走り、磐越西線のレールが見えてきて、終点五泉駅に到着した。

なかなかわびしいものである。まだ全国の鉄道に乗る計画は始まったばかりだが、全国にはもっとわびしい路線がたくさんありそうだな、と思いながらぼくは階段を上がっておりてJRのホームに移動した。

磐越西線その2

旅行記本文

村松から乗ってきた蒲原(かんばら)鉄道の電車を五泉(ごせん)で降りて磐越西線の新潟行きのホームにやってきた。

新潟行きがやってきた。さっき乗った会津若松行きは客車だったが、今度はディーゼル車のようだ。
乗ってみるとお客はわずかのようだ。この列車は会津若松から来たわけではなく、新潟県内のとある駅発車のようで、それで客が少ないのである。

座席は客車と似たようなものでまたボックス席にすわった。ディーゼル車は発車し、田んぼを進んでいく。

そして新津を過ぎて、貨物駅っぽい場所を通り過ぎ、新潟の市街地が近づいて、ようやく新潟駅に到着した。去年10月に越後線から、今年1月には白新線から上越新幹線に乗り換えた駅である。

列車を降りて越後線のホームに向かった。これから進む関屋(せきや)駅まではけっこう電車が通っているようなのでそれほど待たなくても進めるだろう。

越後線

新潟~関屋

五泉(ごせん)から乗ってきたディーゼル車を降りて、越後線に乗り換えだ。

越後線に乗るのは半年ぶりだが、半年前は新潟に着くともう日が暮れていた。だから新潟近辺の昼間の景色は今日初めて見ることになる。まずは電車に乗る。ドアの中は関東で普通に走っている電車とそれほど変わらない電車である。客はそんなに多くない。発車だ。

電車はまちなかを走り、信濃川を渡る。渡った先も市街地である。そのまま市街地を進んでいく。

そして目的地、関屋(せきや)に着いたので電車を降りた。住宅街にある駅だがやや小さめの駅だった。ウィークエンドフリーきっぷを見せて改札を通る。


関屋~東関屋

さて、新潟交通の東関屋駅はどこだろう。この駅の近くにはないようだ。まずは南に歩いてみよう。

しばらくすると信濃川の前に出た。しかし駅やレールのようなものはまだ見えない。東関屋というくらいだから東にあるのかなと思ったが、東を見てもそれらしいものは存在しない。

ぼくがここで考えたのは、そう言えば京浜急行の北品川駅って品川駅の南にあったよな、ということだった。

もしかしたら西に歩くと東関屋駅があるかもしれないなあと思い、西に歩くことにした。

本当に駅があった。関屋駅より大きい駅であった。まずは駅が見つかってめでたし、と思った。ぼくは次の月潟(つきがた)行きの列車の出る時刻を調べようと思い、駅舎に入っていった。

新潟交通

東関屋駅周辺

越後線の関屋駅からなんとか歩いて新潟交通の東関屋駅にやってきた。まずは駅に入って月潟行きまでどれくらい待つか案内板を見てみた。

2時間くらい待つみたいだ。途中まで行く電車もあるが、なんとなくここで月潟行きを待とうかと思った。幸い駅のとなりにローソンがあるので朝食でも買って食べよう。

ぼくはローソンでおにぎりを買って、すぐそばの信濃川のそばの石にすわって食べた。
河原はのんびりしたところだった。こういうゆったりした時間は都会であくせく働くぼくにとっては本当に貴重な時間だなあと感じる。

もうそろそろ駅に戻ろう。
月潟まできっぷを買って改札を通り、電車に乗った。お客は10人をわずかに超える程度である。電車は発車する。


東関屋~月潟

東関屋周辺はそれなりに人家が密集した場所だったが、そこを離れるとすぐに田んぼの広がる場所になる。
まだ4月なので稲が植えられているわけではないが、のどかな場所である。
左側は信濃川の堤防らしい盛り土が延々と続いている。そんな時間が過ぎていく。客は降りていき、月潟が近づくとわずか数人になった。

お昼の12時を若干過ぎたころ、電車は無事終点月潟駅に到着した。電車を降りる。月潟駅はこじんまりした駅であった。

さて、このまま引き返すのもおもしろくない。ここからバスが出ていないだろうか。
駅を見回すとバス停の案内があった。案内の場所に行ってみる。そこにはバスの発車時刻があった。なんとほんの1~2分で燕(つばめ)行きがやってくる!

待っていると本当にバスがやってきた。マイクロバスである。こんなバスに乗るのも珍しい。ぼくはバスに乗り、燕をめざした。

バス・月潟~燕

旅行記本文

月潟(つきがた)駅前を出たマイクロバスは、信濃川の堤防を左手に見ながら堤防に沿って進んでいく。

客の少なそうな場所を通るバスなのに、それでも多少乗り降りがある。数時間に1本しかないバスなのに、ちゃんと客はバスの時刻に合わせて動いているのだろう。自家用車がないとたいへんだなあと思う。

そのうち堤防を離れて田んぼが広がる場所に出て、田んぼの間を進んでいく。4月なので田植えはまだである。でもいい景色である。旅はいいなあ。

もし時刻表どおりにバスが終点の燕(つばめ)駅に着いたら、ちょうど東三条行きの弥彦線に間に合うはずである。できればこの電車に乗りたい。

まあもし乗っても燕三条で新幹線が1時間待ちなので、間に合わなかったら燕三条まで歩けばいいのだが。

そんなことを考えている間もバスは田んぼの中を進む。そのうち人家が多くなり、まちなかの雰囲気になって、終点燕駅前に到着した。いいバスだったなあと思った。

ぼくは燕駅に入っていった。

弥彦線

燕~燕三条

月潟(つきがた)駅前から乗ってきたバスを燕(つばめ)駅前で降りた。あと数分で東三条行きの弥彦(やひこ)線の列車がやってくる。あわてて燕駅に向かい、ウィークエンドフリーきっぷを見せて改札を通り、階段をのぼっておりて東三条方面のホームに着いた。じきに電車がやってきた。そして乗る。多少古めの電車である。

こんなに苦労して乗った電車であるが、次の燕三条駅で降りてしまう。ここから越後湯沢まで新幹線に乗るからだ。

燕三条駅は新幹線の停まる駅なのに、弥彦線のホームは小さなホームだった。通路を抜けて大きな駅舎に入る。まずはウィークエンドフリーきっぷを見せて改札を出る。なにしろ次の東京行きの新幹線まで1時間あるからだ。


燕三条駅

それにしても広いのにお店とか少ない駅だなあ。それに駅のまわりも人家が全くない。

そう言えば昔ザ・ベストテンで、燕三条駅は燕市と三条市の市境にあって、ちょうど駅のまんなかに市境があるとかアナウンサーが言っていたっけと思い出した。市境じゃ人家はないだろうなあ。

なにしろ昼食がまだなので店を見つけることにする。去年弥彦線に乗った時も東三条駅でついついラーメンをたのんでゆっくりしたっけなあと思い出す。


昼食

とりあえず店を見つけた。もう午後2時近いので店はすいていた。おなかもふくれてひといきついた。

新幹線まではまだ時間があるが、食べ終わったのだから店を出よう。ぼくはまだ乗っていない越後湯沢~ガーラ湯沢に列車があるかどうか時刻表で確かめてみた。

この時刻だと燕三条から越後湯沢まで乗ればガーラ湯沢行きに乗れることがわかった。しかしガーラ湯沢で1時間過ごさないと東京行きがやってこないようだ。まあ4月だからなあ。

ぼくはそのまま、駅を出てあたりをながめながら新幹線の発車時刻を待った。

上越新幹線

旅行記本文

閑散とした燕三条駅で昼食をとり、東京行きのときの発車時刻を待った。もうそろそろ改札を通ろう。

ウィークエンドフリーきっぷを見せて改札を通り、新幹線ホームに行く。燕三条は速い新幹線が通過する、どこにでもあるタイプのホームであった。

自由席の位置で待つとときがやってきたので乗る。自由席はほとんど客がいなかった。上越新幹線の客の数ってこんなものなのかなあ。ときは発車する。

晴れた空の下、ときは平野を進み、長岡駅に入っていった。しかし客はそれほどやってこない。

これがあさひだと、長岡で富山や金沢から来た人がたくさん乗ってきて、新潟から乗っていた客より多いくらいなのに、ときだと雷鳥と接続していないから北陸の客は少ないのだろう。こんなのでやっていけるのかなあ。

ときは長岡を出て、山の谷間に入っていく。トンネルも通る。

浦佐(うらさ)でも客は乗らず、さらに進んでいく。トンネルを出ると左右の山々にまだ雪がある。そしてときは目的地、越後湯沢に到着した。ここでときを降りる。

きょうはまだまだ時間がある。たぶんガーラ湯沢に行くホームはとなりだろうと思い、ぼくは階段をおりることにした。

越後湯沢~ガーラ湯沢

越後湯沢~ガーラ湯沢

燕三条(つばめさんじょう)から乗ってきたがらがらのときを越後湯沢で降りて、階段をおりてのぼってとなりのホームに来た。ここも全く客はいない。

4月は越後湯沢にとって本当にオフシーズンなんだなあと思った。こんな時期になぜガーラ湯沢行きのときが存在するのがとても不思議だが、おかげでウィークエンドフリーきっぷでガーラ湯沢に行けるので鉄道ファンとしてはありがたいことである。

しばらく待っているとときがやってきた。スキーシーズンだと1日に何本もガーラ湯沢行きが出ているが、4月はほんの数本しか出ていないのである。乗ってみたら誰も客がいなかった。ますはすわろう。

ときは発車し、越後湯沢の盆地の中をほんの数分動いた。そしてスピードを落としてホームに到着。終点ガーラ湯沢である。

冬だけの臨時駅なのに、りっぱなホームである。とりあえず改札は通らなければならない。次の越後湯沢経由東京行きときは1時間後だからだ。ウィークエンドフリーきっぷを見せて改札を通った。


ガーラ湯沢駅

話には聞いていたが、ガーラ湯沢は中継地点みたいなもので、駅前がすぐゲレンデであるわけではなく、複数人乗れるリフトがあって、リフトで数キロ離れた所まで行くとゲレンデがあるそうだ。だから改札をぬけた先もそれほどスキー場っぽくはない。

しばらく行くと、お店とかが集まっている広い空間に来た。でも4月なので客は閑散としている。店もまばらであった。こんな時期に来るのは鉄道乗りつぶし人くらいかもしれない。

ソフトクリームを売っている店がある。買って食べよう。

ソフトクリームを食べるともうすることはない。ぼーっと約1時間待った。そろそろ駅に戻ろう。


ガーラ湯沢~熊谷

またウィークエンドフリーきっぷを見せて改札を通り、客のいないときの自由席にすわると、前の日からあまり眠れていないこともあって、ぐっすり眠ってしまった。

気がつくとどこかの駅で停車している。わーっ!降りなくちゃ!と思ってあわてて荷物をまとめてときを降りた。ドアが閉まった。

しかしこの駅は熊谷であった。ありゃ、熊谷で降りちゃった。

さて、ここから次のときに乗るのもなんだかつまらない。

そうだ、水上や万座・鹿沢口から上野行きの新特急が出ている、たまには新特急にでも乗ってみるかと思った。もちろん自由席にはウィークエンドフリーきっぷで乗れるだろう。

そう考えるとぼくは階段をおり、中間改札にウィークエンドフリーきっぷを見せて通り、高崎線のホームに向かった。

高崎線

熊谷駅

まちがえて降りてしまった熊谷駅の中間改札にウィークエンドフリーきっぷを見せて、在来線ホームに移動した。

新特急ってけっこう本数多く走っているから、そんなに待たずに乗れるはずだ。

案内板で調べると、それほど待たずに上野行き新特急谷川がやってくるようだ。たぶんがらがらだろうと思った。まずは自由席の位置に行こう。


車内

しばらくすると谷川がやってきたので乗る。自由席に入ったらみごとにがらがらだった。5人もいなかった。まずはすわる。

谷川は発車する。いつも高崎線の普通列車は混雑するし、新幹線だってあさひならそれほどすいているわけではない。

それに比べると、ずっとすいたままというのはありがたい。ウィークエンドフリーきっぷでもなかったら乗らない列車だが、まずは今日のしめくくりとして乗っておこうと思った。

車内改札がやってきたのでウィークエンドフリーきっぷを見せた。なにしろ今月から売り出されたきっぷなので車内改札がこのきっぷのことを知っているか不安だったが、なんとか改札はすんだ。


計画

ぼくは当初、東京から今日一日逃げ出すつもりで電車に乗ったということもすっかり忘れて、あしたは仙台近辺で乗っていない路線に乗ろう、あのあたりで乗っていないのは山形鉄道、阿武隈急行、それから東北本線の岩切~利府間、そして福島交通の福島~飯坂温泉間だなと考えた。

このうち福島交通は一般周遊券の指定地接続線だから急いで乗る必要もないだろうなあと思った。とりあえず夜行明けで疲れているので、ゆっくり休んであしたは朝8時ごろアパートを出ようなどと計画した。

ぼくは桶川や上尾で混雑しているホームを見ながら、アパートにいったん帰ることにした。

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