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交通機関・鬼籍・急行・西日本

えびの

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タイトル路線
130.九州完全乗車旅行 吉都線/肥薩線その1


説明

熊本と宮崎を結ぶ急行であった。熊本~八代は鹿児島本線、八代~吉松は肥薩線、吉松~都城は吉都線、都城~宮崎は日豊本線を経由していた。都城~宮崎は快速運転をしており、急行券不要で定期券でも乗車可能であった。
悲しいことに人吉とえびのの間の高速道路が完成し、高速道路だけで熊本から宮崎まで行けるようになってしまい、高速バスも走っていて急行えびのより速い。
そのため現地の住民はほとんど乗ることはなく、もっぱら使用するのは周遊きっぷ、もしくは九州グリーン豪遊券を使う人に限られていた。
とはいえ肥薩線の景色が美しいので、JR九州はこの急行に新型のディーゼル車を投入しており、しばらくは廃止されることはない…
と思っていたが、あっさり2000年3月10日をもって廃止されてしまった。

車両そのものは人吉止まりの急行くまがわで使われていると思われる。

(その後急行くまがわは廃止され、2017年3月から三年ほど八代〜人吉間には特急かわせみやませみ、特急いさぶろう、および特急しんぺいが運行されていたが、2020年の大雨でこれらの特急は運休している。)

ちどり

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タイトル路線
97.寝台特急出雲・錦帯橋・ひかりレールスター 芸備線


説明

広島県の広島駅と備後落合駅を結ぶ、芸備(げいび)線を通る急行であった。

このあたりは大阪から備後庄原(びんごしょうはら)や三次(みよし)を直接結ぶ高速バスや、広島から三次経由で出雲市へ向かう高速バスはあるものの、どちらかと言えば自家用車が使われている地域であり、急行はそれほどお客を集めていなかった。

大観光地というわけでもないため観光客はほとんど乗ることはなく、もっぱら使用するのは急ぐため仕方なく急行を使う人だけであった。

そんなわけであまりお客もないまま生きながらえてきた急行ではあったが、とうとう2002年3月22日をもって、同区間を走る急行たいしゃくとともに廃止されてしまった。

残った急行みよしも2007年6月30日に廃止された。

砂丘

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タイトル路線
115.急行砂丘と急行かすが 因美線


説明

岡山駅から、津山線・因美線経由で鳥取駅に至るディーゼル車の急行であった。
自由席もあり、ワイド・ミニ周遊券では急行券を買わなくても自由席に乗れていた。

なんでも「タブレット受け渡し」を行う最後の急行だったらしく、沿線ではタブレット受け渡しを撮影する鉄道ファンが多かったらしい。

しかし、智頭急行が開通すると岡山~鳥取間は智頭急行経由の方が所要時間は短いらしく、智頭急行経由の特急いなばが走ることになり、急行砂丘は廃止されてしまった。

いなばは砂丘が通っていた津山は経由しないため、急行つやまが岡山~津山間に走るようになっていたが1日1往復で、この急行以外は快速ことぶきに変わってしまった。
しかし全国の急行がどんどん廃止されていき、とうとう2007年7月から昼間の急行は急行つやまだけになってしまっていたため、「急行ファン」がかなり急行つやまを目指していたのではないかと思われていた。

それもつかのま、急行つやまも2009年3月に廃止された。これで毎日走る昼間の急行は皆無になってしまったわけである。

なお、津山線はけっこう曲がりくねった路線なので、特急いなばは智頭急行経由だと急行砂丘に比べて遠回りのように思えるが意外とそれほどでもないようである。

だいせん

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タイトル路線
94.一畑電鉄と急行だいせん 山陰本線その1


説明

大阪から福知山線・山陰本線を経由して米子に至る夜行急行列車であった。

車両は、ぼくがこれに乗った1998年にはボックス型4人座席の客車で運行されており、行き先も出雲市であったが、廃止直前は以前に「特急エーデル鳥取(鬼籍)」で使用されていた特急型ディーゼル車で運行されていて、けっこう乗りごこちがいいという話であった。行き先は米子止まりになってしまっていた(廃止直前にこの車両にも乗り、乗りごこちがいいことを確認した)。

以下の理由により、廃止直前はあまり混雑することのない列車であった。

・鳥取・島根に用事のある人しか使う必要のない列車であった
・行き帰りに急行券なしで急行に乗れたワイド・ミニ周遊券が廃止になり、その後を引き継いだ周遊きっぷでは急行券を買わないと急行には乗れなくなっていた
・大阪から鳥取・米子・松江には夜行高速バスは運行されており、だいせんより安い

自由席と指定席が連結されていて、寝台車はなかった。

なかなか使う機会のない列車であるが、いつまでも走ってほしい列車であった。

しかし、2004年10月14日をもって廃止されてしまった。

廃止当時は、だいせんが廃止された分、新大阪→福知山の特急北近畿が片道増えた(ただしだいせんより1時間早い)他、鳥取~米子のだいせんとほぼ同じ時刻の快速とっとりライナーが1往復走っていた。

しかし2010年になって、とっとりライナーの方は早朝便の時刻が1時間ほど繰り下がり、深夜便の方も1時間ほど繰り上がり、完全にだいせんと同様に鳥取~米子間を移動することはできなくなってしまった。

北近畿の方は2011年3月になって特急こうのとりに名称が変更になっても最終便がほぼ同じダイヤで走っている。

かすが

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タイトル路線
115.急行砂丘と急行かすが 関西本線その2


説明

東海道本線の名古屋駅から関西本線を通って奈良に至るディーゼル車の急行であった。

昔のことは良く知らないが、廃止前の10年間について言えばほとんどお客の乗らない列車であった。

それほど速い列車でなかったため名古屋から奈良に行くなら新幹線を京都で乗り継いだ方が速かった。
場所によっては名古屋から近鉄を使っても速く奈良県内に行くことができた。

以前ワイド・ミニ周遊券があったころは、急行券なしで急行かすがに乗れるワイド・ミニ周遊券がたくさんあったのでこれらを使って乗る人も多かったが、周遊券がなくなってしまい、必ず急行券が必要になってからは輪をかけて客が減ってしまった。

沿線は観光名所がそれほど多いわけではなく、なぜこの急行が2006年まで続いてきたのかわからない急行であった。

車両はぼくがこの急行に乗った際はボックス席主体の編成だったが、廃止直前は快速みえと同じ車両が使われていた。

2006年3月17日をもってこの急行は廃止されてしまった。

きたぐに

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タイトル路線
88.新潟・山形の私鉄めぐり 信越本線その2
95.輪島・蛸島・永平寺 北陸本線その3


説明

大阪から東海道本線、北陸本線、信越本線経由で新潟に至る電車の急行であった。

使われていた車両は3段式寝台車と呼ばれていた車両で、昼間は4人がけボックスシートとして運用が可能で、夜間は「組み立て作業」を行うと3段式寝台に変わるものであった。
その昔は便利な車両ということで全国的にこの車両を広めていこうとしていた時期もあったらしいが、設計が中途半端だったらしく廃止直前はきたぐにで使われているのみであった。

この車両は交直流で使用可能という特性を生かして普通列車用に改造され、東北・北陸・九州で使われていたこともあったが、いずれも廃止になってしまっている。

2012年3月までは毎日走っていたが、2012年3月から1年の間はおもにゴールデンウィークなどの多客期を中心とした臨時列車となっていた。

2012年3月以前と以降ではほかにも以下のような差があった。

・2012年3月以前は湖西線は経由せず米原を経由していたが、2012年3月以降は湖西線経由となり、大津・彦根・米原・長浜は経由しなくなった。
・2012年3月以前は自由席もあったが、2012年3月以降は寝台・グリーン指定席・普通車指定席のみで自由席はなくなった。

また、臨時列車になる前後で車種が異なっていた急行能登とは違い、2012年3月以前も以降も同型の3段式寝台が使用されていた。

2013年はゴールデンウィークにきたぐにが運転されず、夏休みにも運転されないことがわかったので鬼籍に移動した。

能登路

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タイトル路線
95.輪島・蛸島・永平寺 のと鉄道その1


説明

北陸本線の金沢駅から、北陸本線、七尾線、のと鉄道を通って輪島、もしくは珠洲(すず)に至るディーゼル車の急行であった。

沿線は観光名所が多く、時間帯によっては観光客がかなり乗る列車だったが、別の時間帯は客がほとんどおらずがらがらの急行であった。

のと鉄道の穴水~輪島間が廃止されてからもしばらくは金沢~珠洲間を走っていたが、とうとう廃止されてしまった。

能登路の末期には金沢から能登半島には直行バスが走り始めたこともあって、お客がバスに流れてしまったのではないかと思われる。

能登

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タイトル路線
88.新潟・山形の私鉄めぐり 信越本線その1
95.輪島・蛸島・永平寺 北陸本線その1/北陸本線その2
(番外).2003年4月急行能登 この旅行記に限り、2003年3月以降の旅行記です。


基本

東京都台東区にある上野駅と石川県金沢市にある金沢駅を結ぶ、夜間に運行される急行であった。

経路の変遷

時代によって運行経路や行き先が異なる列車である。
最近の運行経路や行き先は以下の3種類がある。

(1)1997年9月以前
上野~大宮は東北本線、大宮~高崎は高崎線、高崎~直江津は信越本線、直江津~福井は北陸本線を経由する。
直江津で進行方向が逆になる。

(2)1997年10月以降2000年2月以前
上野~大宮は東北本線、大宮~高崎は高崎線、高崎~宮内は上越線、宮内~長岡~直江津は信越本線、直江津~福井は北陸本線を経由する。
長岡で進行方向が逆になるが、長岡ではお客の乗り降りはできない(運転停車と呼ばれている)。

(3)2000年3月以降2011年以前
上野~大宮は東北本線、大宮~高崎は高崎線、高崎~宮内は上越線、宮内~長岡~直江津は信越本線、直江津~金沢は北陸本線を経由する。
(3)の期間のうち2010年3月までは毎日走っていて自由席もあったが、2010年3月以降は、おもに週末のみ運行される臨時列車として運行され、全車指定席(一部グリーン車指定席)となっていた。さらに2010年3月以前に能登に使用されていた車両は引退し、別の車両が能登として運行されていたとのことである。

厳密に言うと(1)の前に、いろいろ異なる行き先だったこともあるそうです。

なぜ(1)でなく(2)の経路になってしまったかというと、(1)の経路の一部が廃止されてしまったからである。

廃止された区間は横川~軽井沢間、そして軽井沢~篠ノ井間もJRから第三セクターになってしまった。
だから長岡を経由するのである。長野経由のころは長野にも停車していたが、長岡を経由するようになったら高崎と直江津の間は全く停車しなくなってしまった。

(2)から(3)となった(すなわち金沢~福井間が廃止された)理由は、お客が少ないからだとのことであり、さらに臨時化した(毎日運行しなくなった)理由は、お客が少ないことに加えて、車両が老朽化したことも原因である。

背景

悲しいことに高速道路が開通し、東京からだと米原経由でも長岡経由でも高速道路で富山・金沢に行けるようになってしまい、どの都市にも東京から夜行の高速バスが走っていて急行能登より安い。

これだけ見ると事実上廃止されてしまった八甲田や津軽と同じだが、一箇所異なる点がある。それは、

・東北の県庁所在地にはどこでも、東京から直通で行ける昼間の列車があるが、富山・金沢には必ず名古屋・米原・越後湯沢で乗り換えないと列車では行けない

このために能登は2011年まで存在が許されていた。もちろん直通なら富山にも金沢にも航空機が運航されているが、運賃はずっと高い。そのため一般的にはこの乗り換えで北陸地方に行く人が多い。

以前は上野→富山・金沢で能登に乗る人は少なく、上野から深夜に帰宅する埼玉県中部の住民がかなり使用していたのだが、JR東日本はダイヤを変更し、能登以降にも高崎線の普通電車を運行するようになってしまい、能登はその分客を減らしていた。

2012年になり、ゴールデンウィークに運行されず、夏休みにも運行されないことがわかったので急行能登は「鬼籍」に移動した。

感想

(2)の期間が始まって半年後、この区間に急行券なしで乗れていた北陸ワイド周遊券、加賀・能登ミニ周遊券が廃止されてしまい、代わりに作られた「周遊きっぷ」では急行券なしでは能登に乗ることができなくなってしまった。

このような状態になっても14年間運行されていたがとうとう廃止されてしまい、つづいて周遊きっぷも北陸地方関連の周遊きっぷがのきなみ2012年3月31日に廃止されてしまった。

感想としてはこのくらいです。

もし急行能登についてもっと詳しく知りたい場合は、検索エンジンで急行能登と打ち込んで検索してみてください。

東海

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タイトル路線
100.東京ミニ周遊券旅行その1 東海道本線その2


説明

東京駅と静岡駅を結ぶ急行であった。1日に3往復ほど運行されていた。

ボックス席だけの車両で運行されていた。ぼくが急行東海に乗った当時の東海道本線のこの区間では、いわゆる「優等列車」は東京~三島間に特急が走っているほかは寝台特急と寝台急行銀河だけであり、銀河には寝台しかないので、自由席のある東海は貴重な存在だった。

しかし東海道新幹線があるのにわざわざ急行に乗ろうという人も少なく、使用されていた車両が古くなってしまったこともあって、1996年3月に廃止された。

そして新型車両により特急東海が運行されることになるのだが、この列車も2007年3月に廃止された。