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Sorry, Japanese only! (2001年3月その2)

7.身延の雪

説明

2000年にほとんどのJR線に乗ったぼくは、2001年には新しい鉄道に乗る意欲もなく、おもに青春18きっぷを使って近場の観光地めぐりをしていました。1月には城ヶ崎海岸に行きました。

3月になり、どこに行こうかと思いました。とりあえず実家への行き帰りに3回分使うことにしたので残り2回分でどこかに行けます。
まず日光東照宮に行きました。中学のころ修学旅行で行ったことはあるのですが、バス旅行でしたし、JRの日光駅からの道順を確認しようと思ったからです。無事駅から歩いて東照宮に行けました。さてもう1回です。

ぼくはまた身延線にでも乗ろうかと思いました。なにしろ18きっぷで行くのがお手頃な場所なのです。
去年は大月から富士急行で富士吉田(富士山駅の2000年当時の駅名)まで行ってバスで身延線の甲斐常葉まで行きましたが、今回はどこに行こうか、身延線に観光地なんかあったかなあと思いました。
いろいろ考えたのですが、どうやら身延駅近くに身延山と呼ばれる場所があり、仏教系の施設があるらしいので行こうかと思いました。

それから、なんでも東京の赤羽駅の近くの営団地下鉄(東京メトロの2001年当時の名称)赤羽岩淵駅から、埼玉高速鉄道というのが武蔵野線の方向に向けて3月末に走り出すそうです。終点の駅名は浦和美園(うらわみその)だそうです。
身延線に乗る日には開通しているので、身延に行った後で赤羽に行って乗ろうかと思いました。

いい天気になるといいなあと思いながら、休日を待ちました。

中央本線

旅行記本文

高尾駅にやってきた。1年ちょっとぶりに中央本線で高尾より西に行く。

去年11月の逃亡旅行以来、あまり遠くには行っていない。きょうは身延山に行く予定なので多少遠い方だろう。甲府に向かう電車に乗る。きょうも快適にすわれる。東海道本線と違ってたいして混雑しないのが中央本線のいいところだ。そして発車。
たちまち電車は山の中へと入っていく。いつもの中央本線の景色だ。でもきょうは3月の終わりだというのにとても寒い。これから行くのは山梨だが、雪が降ったらいやだなあと思っているうちに電車は進んでいく。

大月を過ぎるとかなりひさしぶりの景色となる。山梨は河口湖方面には何回も行ったが、電車で行くことは少なく、バスとか仲間の車とかが多かった。
甲府はたいていすどおりするだけだ。きょうも乗り換えだけである。
降りたのは6年前にかいじきっぷで行った時だけだ。あの時は武田神社に行って、それから駅前のデパートの本屋で立ち読みして終わってしまった。それから小海線の清里で降りたこともある。

そんなことを考えながら笹子トンネルに入っていく。けっこう長いトンネルだ。
トンネルをくぐるといったん電車は右に曲がっていき、左手に甲府の盆地が見える景色になる。空は相変わらずどんよりとくもっている。

電車は塩山(えんざん)などの駅に停車していき、やっと甲府の市街地に入っていった。
そして身延線との乗換駅、甲府に到着である。ここで電車を降りる。

さてホームはどこだろう。なにしろ身延線で甲府に来たのはもう10年近く前なのですっかり忘れている。
どうやら階段をのぼる必要はなく、新宿方向にちょっと歩くと身延線ホームがあるようだ。無事電車が動くといいなあと思いながら、ぼくは身延線ホームをめざして歩いた。

身延線

甲府~身延

高尾から乗ってきた電車を甲府で降りた。

身延線から中央本線に乗り換えたことはあるが、逆は初めてだ。

階段をのぼろうかとも思ったが、きょう降りたホームから身延線には階段を使わずに行けることがわかった。でもどことなく、甲府駅のはずれにあるようなホームだ。

電車を見るとなんだか新型だ。去年も甲斐常葉(かいときわ)から富士まで身延線に乗ったはずだが、はたしてこんな電車だっただろうか?
覚えていないがこんな電車かもしれない。いずれにしても電車はすきま風とか入らない電車の方が快適なのでこれでいいのだろう。

身延線の新型の電車に乗る。お客はそれほど多くない。そして発車。
しばらくは甲府の住宅街を走るが、そのうち郊外に出ていく。そして左右に山々が見えてくる。

山

ここ数年北海道から九州まで、いろいろな景色を見てきた。左右に山々が見える景色ってかなり多かったような気がする。
だから身延線の景色なんてたいしたことはないのだが、やはりめったに見ない景色なのでそれなりにいい気分である。それにしてもきょうは寒いなあ。

去年乗った甲斐常葉を過ぎ、さらに山を見ながら進む。富士山はそれほど遠くないはずだが見えることはない。
そして目的地、身延に到着した。電車を降り、青春18きっぷを見せて改札を通る。


ウォークラリー

待合室で興味深いものを見つけた。それは、どうやらウォークラリーっぽい案内だった。
ラリーと言っても何か景品があるものではなく、ただ道案内があるので歩いてくださいといったもののようだ。道案内に沿って歩くとお寺に行けるらしい。
どんなものかわからないが、歩いてみようと思った。そして駅を出る。

身延駅のまわりは、身延線の中心の駅といったわりには閑散とした場所だった。

ここ数年、北海道から鹿児島までいろいろなところに行ったが、こういう駅はけっこうあり、しかも駅から離れたところに地域の中心地がある場所さえあった。
身延もそういう場所かもしれないと思い、歩き出した。

とたんになんと、雪が降り出してきた!今は3月の末である。まあ、雪なんて3月4月はあたりまえという場所に何年か住んだので、身延もこんなものなんだろうなあと思い、さらに道案内に沿って歩き出す。

雪

しばらくは平坦な、バスも通りそうな道を進んでいくが、じきに新しい道案内を見つけ、それにはここの曲がり角を右に曲がること、と書いてあった。曲がってみよう。


お寺

その道は、バスは通らなさそうな道だった。本当にこんな道でお寺に行けるのだろうか?
そのうち道は、なだらかではあるが長い上り坂になった。そして雪も、積もるほどではないがけっこう降ってきた。
道は南北にカーブしながら西へ進んでいく。もしかしたらあれは桜かな?こんなに寒くなければ花が咲いているかもしれない木々が道のそばにある。

つい数週間前に日光の東照宮に行っているが、日光駅から歩いていった。その時も多少上り坂をのぼったが、身延はずっと標高差が大きいようだ。
それでも何か観光地があることを信じて進んでいく。ちゃんと道案内もあり、間違いなくウォークラリーのコースに沿って進んでいるようだ。

そしてとっぷりと進んだ後で、日光の東照宮と似たように、おごそかなお寺っぽい建物がそばにある広場に到着した。お寺のまわりには木々があり、いい雰囲気の場所である。雪は多少小降りにはなってきたようだ。

まあとにかくここが身延のお寺のようだ。お寺なのだからさいせんをあげていこう。そしておがむ。これでウォークラリーの半分が終わったことになる。


かえり道

さあ、お寺から帰ろう。

見ると長ーいくだり階段が続いていた。ひゃー。

つまり、こんな道案内がなければ、ここには階段経由で来るべき場所なのだ。だけどなまじっか道案内があったので、道案内に沿ってフウフウ言いながら進んだから苦労した。
まあ、この長い階段をのぼっていくのもけっこうつらそうだから、一長一短なんだろうけど。そんなことを考えながら階段をおりていく。いや長いなあ。

長いことかかって階段をくだり終えた。くだり切るとそこはバスとかも走る大通りである。最初からこっち経由で来ればよかったのかなあ。まあ進んでみよう。
身延駅に向かって進んでみたが、それほどおもしろくもない道であった。やっぱり階段を使わない行きの道を進んでもよかったのかなあと思った。まあよかったことにしておこう。

そのうちお寺の集落と身延駅のまわりの集落との間の畑っぽいエリアに出る。行きに曲がった曲がり角に合流する。ここからは数時間ぶりに通ることになる。つまりもうすぐ身延駅ということだ。
寒いけどあとちょっとだ。なんとかなりそうだ。さらに歩く。


身延~富士

やっと身延駅に戻ってきた。さて、甲府行きでも富士行きでもいいから、どちらか早いほうに乗ろう。
去年の1月に続いて、きょうも富士行きの方が早いようだ。またあの混雑した東海道本線に乗らなければならないようだ。
こんな雪だけど、青春18きっぷが使える土曜日だから年輩の客がきょうも多いだろう。

青春18きっぷを改札に見せてホームに行く。そしてさっきと同じ新型の電車がやってきた。乗ろう。身延線はそれほど混雑していない。 こんなラリーっぽい「もよおし」をしているくらいだからそれなりに客はいるかと思ったが、こんな雪が降るくらいだから、近所の人は来ないだろう。

電車がやってきた。甲府から身延までと同様に客は少ない。すわると出発だ。
去年も通った線路なので景色は多少は覚えているが、なにしろ寒い。去年は1月だったが少なくとも雪は降っていなかった。

身延線は川に沿った路線なので、たまに川が見えることがあるが、それほどのこともなく、ほとんど山がちな場所を進んでいく。
西富士宮から平地になり、市街地を進んでいき、そのまま終点富士駅に到着である。さあ、たぶんまた東海道本線は混雑しているんだろうなあと思いながら電車を降り、おそらく熱海までは立ちっぱなしになることを覚悟して熱海行きのホームに向かった。


補足

なお、地図によればこの日に立ち寄ったお寺は「久遠寺」というそうだ。
この文章を書いているのは10年以上後だが、ずっとお寺の名前を確認していなかったのである。

東海道本線

富士~横浜

1年2ヶ月ぶりに身延線の電車を富士駅で降りた。そして東京方面のホームに来る。
電車がやってきた。きょうも混雑している。ずっと青春18きっぷシーズンの東海道本線は混雑する電車なのだ。年輩の客が多くなっている。土曜日だし、いかにも遠距離の荷物を持っている客が多い。
ぼくは日帰りだから荷物は少ないが、泊まりがけの客もいそうだ。

電車は熱海に向けて進んでいく。なにしろ3月のおわりだけど、身延では雪が降っていたのだ。だから東海道本線沿いとは言え、ちょっと寒そうな空である。まだまだ東京では桜も咲いていないのだ。
沼津、三島を過ぎて丹那トンネルを過ぎる。沼津で乗り換えられれば丹那トンネルはすわって過ごせるけど、最近だんだん東京を出た電車が熱海より西に行くことが少なくなっている。そして熱海から西の電車は混雑する。JR東海はあまり普通列車の客を増やそうとは思っていないようだ。

熱海で乗り換える。さすがにすわれた。熱海から小田原で海をぼーっと見て進む。1月に城ヶ崎海岸に行ったからわずか2ヶ月ぶりだが、やっぱりこの海はいいなあと思う。12月に芦ノ湖に行った時にも見た海である。そのまま平塚、大船と進んでいく。大船を過ぎると斜面に住宅の見えるいい景色である。


横浜~赤羽

電車は横浜を過ぎる。しばらくはレールがたくさん並ぶ区間だ。
きょうの目的地は赤羽だ。もしも今京浜東北線が快速運転をしている午後3時より前なら、京浜東北線への乗り換えは東京よりも、むしろ乗り換え専用階段がある川崎の方が混雑しなくて便利だ。
でも今は午後3時をかなり回っているので、東京まで行って乗り換えた方がいいだろう。電車が川崎に着いたが電車を降りずに乗り続けていくことにする。

電車は品川、新橋と進んでいく。たまに会社の用事で山手線エリアに来ることはあるが、1年に何回も来ることはなくなってしまった。むしろプライベートで来るエリアである。高いビルが目立つようになってきて、終点東京に到着である。

さあ、赤羽に行こう。おおぜいの客に混じって階段をおり、上野方面行きのホームに向かう。そして京浜東北線の電車に乗る。快速運転は終わっているのでそれほど混雑しているわけでもないが、やはりいつもの東京なので客は多い。
上野で客が降りていくが、ぼくはそのまま乗り続ける。田端を過ぎる。このあたりまで来るのもひさしぶりのような気がする。以前都心近くに住んでいたころは、安いスーパーを探して王子の方まで来たこともあったっけなあと思い出す。

そして赤羽に着いた。電車を降りて階段をおり、青春18きっぷを見せて改札を通る。これから向かうのは埼玉高速鉄道の赤羽岩淵駅だ。すなわち営団地下鉄の南北線の赤羽岩淵駅ということだから多少東の方に歩くことになる。ぼくは南北線が駒込~赤羽岩淵までしか開通していなかったころ、初めて乗ったときのことを思い出してみた。

埼玉高速鉄道

回想

東京駅から乗ってきた京浜東北線の電車を赤羽で降り、青春18きっぷを見せて改札を出た。そして赤羽岩淵駅に来た数年前のことを思い出してみた。

会社に入社して3年目に、上司にこっぴどくおこられて、気晴らしにどこかに行きたくなった。その時、最近できたという、駒込から赤羽岩淵まで開業していた営団地下鉄南北線(当時)に行ってみた。

山手線で駒込に行って、はじめて駒込を出た。けっこう起伏のある地形だった。地下鉄の入り口はすぐに見つかった。きっぷを買ってエスカレーターをおりてホームに行くと、なぜかホームはドアで囲まれていた。いわゆるホームドアというものである。ぼくははじめてのホームドアを駒込で迎えたのである。

そして電車がやってきて、電車のドアが開いて、つづいてホームドアが開いた。なるほど、ホーム転落事故を防ぐためなんだな、そう思った。さすがにすいていた。
電車が発車。王子を通っていく。近くにある都営三田線みたいに終点になると地上に上がるのかなと思ったが、ずっと地下のまま終点の赤羽岩淵に到着した。

地上に上がるとJRの赤羽駅からはけっこう離れていて、どうやら荒川が近いようなので、荒川沿いに出て上流の方に歩いてみることにした。
川沿いを散歩するとけっこう気晴らしになった。
適当なところで川をはずれて南に歩いてみたら、都営三田線の西台駅に到着した。

駅前のマクドナルドで、当時山田邦子が宣伝していた「ひるもよるもマックのカレー」を食べることにしたら、レトルトのカレーを袋のまま出してきて、なんかへんだなあと思ったことを思い出す。
そしてダイエーで買い物して三田線で帰って、気分をリフレッシュして月曜からまた働いたっけなあと思い出す。
西台にダイエーがあることを覚えておいたので、数年後にまた西台まで来てダイエーに行ったことも思い出している。
そんな思い出の赤羽岩淵なのである。


赤羽岩淵~浦和美園

さて2001年の話に戻る。赤羽駅から北東に向かった。確かあの時の駅はこっちの方だったはずだ。
大通りから別の交差する大通りに突き当たった。どっちかな。左に曲がってみた。すると赤羽岩淵の入り口があった。これでよし。

階段をおりていく。あの時と同じ駅舎である。きっぷ売り場で終点の浦和美園(うらわみその)まできっぷを買う。そして自動改札を通る。
あの時と同じ、ホームドアのあるホームである。あの時は折り返し運転だったが、数日前から浦和美園行きが出るようになったのだ。しばらく待つ。

電車がやってきた。あの時と同じく、まず電車のドアが開いて、つづいてホームドアが開いた。
南北線は駒込から四ツ谷、溜池山王(ためいけさんのう)、そして目黒と延伸していて、そのたびに乗り直している。だからホームドアもそのたびに通ってはいるが、赤羽岩淵駅に来るのははじめて南北線に乗った時以来で、やっぱりなつかしいものである。
電車に乗る。お客は相変わらず少ない。駒込止まりだった頃より若干増えているのかもしれないが、それでも少ないように見える。なにしろ走り始めたばかりだし、沿線住民くらいしか乗らない電車だから客も少ないだろう。
電車は赤羽岩淵駅を発車していく。あたりまえだがずっと地下である。

ぼくはもしかしたら埼玉に入ると地上に上がるのかなあと思っていた。しかし電車はずっと地下を走り、鳩ヶ谷(はとがや)を過ぎていく。相変わらず客は少ないままだ。
そして終点1つ前、JRの武蔵野線との乗換駅の東川口に着いてもほとんど乗り降りもなく、電車は発車してさらに進み、終点浦和美園に到着した。電車を降りる。


浦和美園~東川口

きっぷを自動改札に入れて通り、外に出てみた。
そこは家並みの少ない場所だった。地下鉄の終点って、けっこうこういう場所が多い。
ほとんど空き地しかない場所だった。はたしてここに客なんか来るのかなあ。まして埼玉高速鉄道は運賃の高い鉄道だし。

そんなことを考えながら再び浦和美園駅に戻り、きっぷ売り場に行く。青春18きっぷがあるのだから赤羽岩淵まで戻らなくても、もよりJR駅まで行けばいい。となりの東川口まできっぷを買う。
そして改札を通り、再び営団の南北線直通電車に乗る。すぐに発車。たちまち電車は目的地の東川口に着いた。JRとして東川口に降りたことはないから、駅前のながめを見るのははじめてということになる。電車を降りてきっぷを改札に通して地上に上がってみる。

出てみたら、浦和美園ほどは閑散としておらず、人家がそこここにある駅だった。ただしお店は少ないようだ。
でも食堂っぽい店を見つけた。もう夕食どきだし、どうせアパートに帰っても近くのコンビニで夕食を買って食べるだけだし、ここの食堂で食べていこう。

食堂はそれほどまずくもない店だったが、埼玉高速鉄道に乗る時くらいしか用のない場所だし、わざわざ来ることもないところであった。

食事

ぼくは食事しながら、きょうの身延山のことを思い起こしてみた。3月末なのに身延は雪だったけど、3月4月に雪が降るのはあたりまえだと思っているのでそれほどのこともなかった。まあ、身延駅からえっちらおっちら歩いたのでいい運動になったなあと思った。

ことしの春の青春18きっぷの旅も終わりだ。残りは4月に帰省するのに使うことにしようと思い、食べ終わると食堂を出て武蔵野線でアパートに帰ることにした。


おわび

なお、この旅行記の赤羽岩淵~浦和美園の項目で、長い間「終点浦和美園に到着した」の文を「ずっと地下を進み終点浦和美園に到着した」と書いておりましたが、2016年に浦和美園に再訪したところ浦和美園で地上に出ることを確認いたしました。理由は不明ですがずっと地下を進むものとかんちがいしていたようです。おわびいたします。

関連リンク