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Sorry, Japanese only! (1994年8月その3)

22.水郡線と磐越東線

説明

1994年は、ぼくが本格的に全国の鉄道に全部乗ろうと考えた年でした。
1994年の夏は、青春18きっぷを使って東京から多少離れたJR線や私鉄に乗る計画を5回分立てました。

夏休み前は、大垣行き夜行に乗って帰ってくる旅行を2回、それから水戸周辺の私鉄に乗る旅行を1回しました。この年の夏休みは自由に設定できたので、お盆に休むことにしました。8月はあと1回しかチャンスがありません。残り1回は日帰り旅行にしましょう。

先月は鹿島鉄道、鹿島臨海鉄道、水郡線の水戸~常陸太田間、日立電鉄、茨城交通に乗ったので、今度は水郡線の上菅谷から北、郡山まで乗ることにします。

それから磐越東線にも乗ったことがなかったので水郡線で郡山に行った後は磐越東線で平(たいら)に行って常磐線で上野に帰ることにします。

問題はJRの接続です。なにしろ先月は水戸で水郡線の列車が2時間なかったのです。このルートの接続はどうか時刻表を見てみました。

その結果、始発の朝5時ちょっと過ぎの上野発の常磐線に乗ればなんとかなることがわかりました。なにしろ水郡線だけでなく磐越東線も列車の数が少ないのです。郡山で1時間以上待つことになりますが、10年前も郡山でよく電車を2時間以上待っていたので、散歩でもしようと思いました。

こうして旅行当日も無事朝4時前に目が覚めて、ぼくはもより駅から上野に向かったのです。

常磐線その1

旅行記本文

目が覚めた。時計を見た。午前3時半ごろである。ここはぼくが住んでいる東京の社員寮である。

きょうは水郡線に郡山まで乗って、磐越東線に平(たいら)まで乗って帰ってくる予定である。

磐越東線の列車数が少ないので、このルートで上野を出て上野に帰ってくるには絶対始発の列車に乗らなければならない。

ぼくは4時ちょっと過ぎに寮を出て、なんとか上野駅までやってきた。8月ももうお盆を過ぎているのでまだ外は暗い。

始発の常磐線は高架のホームの方だ。人もまばらな中を進み、ホームに出て長距離用の電車に乗る。お客はもちろん少ない。そして発車。

都会の景色を進んでいくが、北千住を過ぎると人家がまばらになる。だんだん明るくなってきた。明け方のいい景色である。千葉県に入る。

先月も石岡まで常磐線に乗ったし、帰りは勝田から上野まで乗ったのでそれほど珍しい景色ではないのだが、やはり青春18きっぷを使って旅行していると思うとうきうきする。ましてこれからまだ乗ったことのない上菅谷(かみすがや)以北の水郡線や磐越東線に乗ると思うといい気分である。

すっかり明るくなり、利根川を越えて1ヶ月ぶりの茨城県入りである。取手、土浦を過ぎると森が見えてきて、石岡を過ぎると人家もまばらになった。石岡から北は、先月通過したのが夜で景色を見ていないのでよく見ておくことにするが、畑が広がるばかりでたいしたものはなかった。そんな景色が水戸の近くまで続く。

そして市街地に入っていき、水戸に定刻に到着した。電車を降りる。どうやら郡山行きのディーゼル車に無事に乗れそうだ。ぼくは電車を降り、階段を上がっておりて先月同様に水郡線ホームに向かうことにした。

水郡線

旅行記本文

上野から乗ってきた電車を水戸駅で降りた。定刻に到着したので、先月みたいに2時間も待つことはなく、それほど長くない乗り換え時間で水郡線に乗り換えられそうだ。まずは先月も来た水郡線ホームに向かう。

先月と同じディーゼル車が待っていた。それほど客もおらず、すんなりすわれた。そして発車。

上菅谷までは先月も通った場所である。そこを過ぎると乗ったことのない区間である。北海道なら稚内まで行ったぼくだが、全国にはまだまだ乗ったことのない区間がたくさんある。きょう見られる景色はどんなものだろう。

かなり進み、水戸からだいぶ離れたが、それほど高い山は見えない。深い森を通るわけでもなく、小高い山々がずっと続いている。盆地もそんなに狭くない。

今まで通ったことのある路線で言うと、そうだなあ、気仙沼線あたりの景色が近いかもしれない。そんなふうにしてディーゼル車は進んでいく。

かなり進み、福島県に入ったようだが、景色にそんなに変わりはない。茨城県側と比べるといくぶん盆地が狭くなったような気もするが、それほど変わりはない。そんなふうにしてディーゼル車は進む。お客もそんなに多くない。

そして終点の郡山が近づく。何度も通った駅なので景色にはなじみがある。ディーゼル車は市街地に入っていき、終点の郡山駅に到着した。東北本線や磐越西線なら何度も通っているが、水郡線ははじめてだ。そしてこれから乗る磐越東線もはじめてである。

ぼくはディーゼル車を降りて、いったん駅の外に出てみることにした。この駅の外に出るのはたぶん10年ぶりだろう。

磐越東線

回想

水戸から乗ってきたディーゼル車を郡山で降りて、青春18きっぷを見せて改札を通った。

10年前は黒磯から来た列車から仙台に行く列車に乗り換えたのだが、あのころは郡山で2時間待たないと乗り継げないダイヤだった。
その日は駅ビルの本屋に行って立ち読みして、全国のAMラジオの番組表を買ったことを思い出す。

読書

しかしある人から「青春18きっぷ」という便利なきっぷを教えてもらい、時刻表を見ると常磐線経由の方が1時間も早く仙台に着けることがわかったのでしばらくの間常磐線経由で仙台に帰っていたものだった。
その後ダイヤが変わって東北本線経由の方が早くなったものの、乗換駅が福島になり、それほど待たなくても良くなった。

きょうは磐越東線に乗り換えるのだが、1時間以上待ち時間があるのでいったん駅を出ることにしたのだ。だから郡山で降りるのは10年ぶりなのである。


郡山駅周辺

でもあのころと景色が違う。本屋も見つからない。郡山駅もすっかり改装されてしまったようだ。ホームはそれほど変わらないのだけど。

とりあえず駅の近くを歩いてみる。でも入りたいような店は見つからない。雑貨屋があるくらいだ。ここでお菓子でも買っていこう。昼食はホームのそばでいいや。

まだまだ磐越東線の平(たいら)行きまで時間があるが、青春18きっぷを見せて改札をふたたび通り、ホームの立ち食いそばで昼食である。そしてしばらくいすにすわって待つ。

けっこう客が増えてきた。なにしろ平行きは数時間ぶりなのである。水郡線よりずっと客が多い。


発車

平行きディーゼル車が入線してきた。水郡線とそんなに変わらないディーゼル車だ。ドアが開く。先に来ていたのでなんとかすわれた。それからも客がやってきて立ち客が出た。高校生が大半だが、中年以上の客も多少はいる。そして発車。

にぎやかなディーゼル車は郡山の市街地を離れていく。そして森の多い景色になる。

ディーゼル車は各駅に停車していき、お客がどんどん降りていく。たちまち列車はがらがらになった。

やっぱり磐越東線は普通列車ばかりだから、そんなに地元の住民には使われていないのかなあと思う。平は福島県でも重要な場所で、それなりに郡山や福島とも行き来があると思われるが、みんな車を使っているのかなと思う。

とある書籍によれば、平から会津若松までバスが出ているらしい。今後とも平と福島県の他の都市との交通はバスが主流になるのだろう。


到着

さて、磐越東線のディーゼル車は森に囲まれた場所を進んでいく。水郡線沿線より盆地は狭いし、磐越西線みたいに遠くに磐梯山みたいな高い山が見えるわけでもない。そんな景色がしばらく続く。

自然

平到着直前になって、ようやく山が開け、平野に出た。客もほとんど乗って来ないまま終点平にディーゼル車は到着した。

今年2月から北の方に旅行することが多く、福島県も何度も通っているが平は常磐線経由で仙台に帰っていた時以来約10年ぶりだ。とても新鮮な景色である。

しかし特に立ち寄ることもないだろう。上野行きの電車もすぐに出るようだ。ぼくは階段を上がり、上野行き電車へと急いだ。

常磐線その2

旅行記本文

郡山から乗ってきた磐越東線のディーゼル車を平(たいら)で降りた。

以前に平に来たのはまだ急行まつしまとかが走っていた頃だから約10年前である。あまり景色を覚えてはいないがそれほど変わってはいないようだ。あの時もきょうも乗り換えるだけだが、いつか降りてみたいなあと思った。

階段を上がっておりて常磐線ホームに向かう。こんな場所から上野行きの普通列車が走っているのが不思議である。けさ乗った電車とそれほど変わりはしない。さすがにお客は少ないようだ。電車は出発する。

日立から北に乗るのは10年ぶりなのでしっかり景色を見る。福島県の電車は、東北本線はそれほど混雑しないのに対して、常磐線は活気があるようだ。やっぱり海に近いからなのかもしれない。

県境をすぐに越え、茨城県に戻ってきた。海がちらほらと見えてくる。やっぱり海はいい。お客は若い人が多いようだ。そのうち客が増えてくる。そして日立を過ぎる。

水戸に近づくにつれて多少客が乗ってきたが、先月ほど混雑はしないようだ。まあきょうは先月ほど乗り換えもないし、ゆっくり眠っていこう。しばらく眠る。

起きたらすっかり暗くなっていた。もう取手を過ぎているようだ。なぜか客は少なくなっていた。取手を過ぎると電車の本数が増えるから客が少なくなるのだろう。

きょうもいい旅だった。18きっぷはあと1枚残っている。来週は快速ムーンライトに乗って新潟や山形に行く予定である。来週もいい旅ができるといいなと思いながら、ぼくは上野に帰っていった。

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