1994年は、ぼくが本格的に全国の鉄道に全部乗ろうと考えた年でした。
1994年の夏は、青春18きっぷを使って東京から多少離れたJR線や私鉄に乗る計画を5回分立てました。
夏休み前は、大垣行き夜行に乗って帰ってくる旅行を2回、それから水戸周辺の私鉄に乗る旅行を1回しました。この年の夏休みは自由に設定できたので、お盆に休むことにしました。
それはともかく青春18きっぷの旅もいいですが、18きっぷを使わない旅も1回しておこうと思いました。ほぼ私鉄を中心とした旅です。
東武鉄道の東武佐野線とか、東武小泉線とかです。まず業平橋(なりひらばし。とうきょうスカイツリー駅の1994年当時の名称)から館林(たてばやし)に行って、葛生(くずう)まで往復した後で西小泉まで行って、そこから先は時間次第です。よし、これでいこうと思いました。
こうしてぼくは業平橋の近くの駅、押上(おしあげ)まで都営浅草線で向かいました。
業平橋駅
都営浅草線の電車は、無事押上(おしあげ)駅に到着した。電車を降りる。
6月にも降りた駅だが、最近押上から業平橋(なりひらばし)に向かう通路ができて、乗り換えが多少便利になった駅である。
きょうはまず、栃木県にある東武の葛生(くずう)駅に向かう予定である。業平橋の押上寄りの改札前の自動券売機で葛生まできっぷを買い、自動改札を通る。
6月に来た、浅草には行けない業平橋止まりの臨時ホームに来た。でもこの時間帯はここに電車はない。ホームを端から端まで歩いて階段を上がって浅草にも行けるホームに行く必要があるようだ。歩こう。
なんとか歩き、階段を上がってホームに来た。浅草とは反対方向の電車がやってくる。南栗橋行きだ。業平橋を出るだいたいの電車は南栗橋行きで、その他の行き先がちらほらとある。葛生行きの出ている館林(たてばやし)に行くには太田(おおた)行きまで待たなければならないが、混雑しているはずだから南栗橋行きに乗ろう。
業平橋~館林
でも結局南栗橋行きも混雑していた。太田行きより先に席があくかもしれないので南栗橋行きに乗る。東武動物公園で太田行きに乗り換えよう。電車は発車する。左に曲がって曳舟(ひきふね)に停車。そして北千住(きたせんじゅ)までは各駅に停車。たくさん客が乗ってきて、北千住を発車するとスピードを上げていく。
きょうも電車は北に向かう。金曜日の夜はのろのろ運転になることもある東武伊勢崎線の準急だが、昼間はそんなこともなく、中目黒から来る電車を停車駅で追い抜いていく。途中で席があいてすわれる。
そして電車は東武動物公園に着いた。電車を降りる。館林に向かうのは太田行きだ。しばらく待とう。
ようやく太田行きが来たので乗る。今度は最初からすわれる。そして発車。しばらくすると久喜(くき)に着く。発車すると高架に上がって東北本線をまたぎ越す。
久喜から先は人家がだんだん少なくなる。羽生(はにゅう)を出ると利根川を越える。そしてしばらく進むとようやく目的地の館林に到着する。
今までは乗ったことのある場所だったが、ここからははじめて乗る区間だ。どんな景色なのかなあと思いながら、ぼくは電車を降りて東武佐野線のホームに向かった。
館林~葛生
東武伊勢崎線の電車を館林(たてばやし)で降りた。階段を上がっておりて東武佐野線の葛生(くずう)行きのホームに行く。
そこにあった電車は編成の短い電車だった。何年か前に東武小泉線に乗って館林から太田まで行ったが、その時と似たような電車だった。まずは乗ろう。
館林までの電車も客は少なかったが、葛生行きはさらに少ない。そして発車。館林の市街地を離れていく。
4月に乗った鬼怒川行きの東武の特急も、栗橋から栃木くらいまでは草原や田んぼが広がる場所だったが、東武佐野線も似たようなものだ。そんな場所でも各駅に停車するが、お盆なので高校生さえも乗り降りがない。そんなまま進む。
両毛線に乗るときよく見る栃木の山が見えてきた。もうすぐ佐野だろう。そのうち市街地に入っていき、佐野市に到着する。やはり全然客の乗り降りがない。そしてまた発車。
電車は住宅地を進み、ググッと左にカーブした。そして高架にのぼっていき、両毛線をまたぎ越した。そして高架をおりる。おりるとまた両毛線と合流し、佐野駅に到着した。ドアが開くがやはり全然乗り降りがない。やっぱりお盆だからかなあ。
また発車する。佐野市までの草原はもう見えず、左右に山が迫る場所だ。そんな場所を各駅に停車する。それでも高校が休みでないときは高校生でいっぱいになるのかもしれない。お盆でなければ部活のやつらが多少乗るのかもしれない。でもきょうは悲しいくらいに客がいない。そんなふうにして時間が過ぎる。
そしてようやく電車は終点の葛生駅に到着した。電車を降りて改札にきっぷを渡して通る。
葛生~館林
とりあえず散歩してみよう。散歩の前に次の目的地、西小泉まできっぷを買っておく。そして歩く。
右も左もそれほど高くはない山に囲まれた場所である。住宅が集まった集落ではあるが、お店はない。およそ駅前とは思えない場所である。
住宅の間を進んでいくと、車のエンジンっぽい音が聞こえてきた。音の方向に行ってみよう。
音のする方向に進むと小石がたくさんある場所に出た。そこにはパワーショベルがあって、たくさんの小石、すなわち砂利をかき集めているようだった。近くにはダンプカーもある。
そう言えば栃木県は石の産地だったなあと思い出した。ここ葛生は、何かで使う砂利を採掘する場所なのだろう。あまりたいした産業もなさそうな土地のようだが、鉄道の行き止まりにはこんな場所もあるんだなあと妙に納得した。
さて、もう葛生では見るものもなさそうだ。もうすぐ次の館林行きが出る時刻だ。急ごう。ぼくは葛生駅に戻り、きっぷを駅員に見せて改札を通った。そして電車に乗る。相変わらず客は少ない。
電車が発車する。佐野までは盆地の景色で、佐野が近づいてくるとようやく市街地になる。佐野に着いても全然客が乗ってこない。そしてまた発車。坂を上がり、両毛線をまたぎ越し、おりて市街地を進むと佐野市だ。
佐野市を発車するとすぐに市街地から離れて田んぼの景色になる。そんな景色がずっと館林まで続き、館林の手前でようやく市街地に入っていき、終点館林に到着する。電車を降りる。
館林駅に戻ってきた。さあ、次は東武小泉線に乗って西小泉に行こう。ぼくは階段をのぼって西小泉行きのホームに向かった。
館林~西小泉
葛生(くずう)から乗ってきた電車を館林で降り、階段をのぼっておりて西小泉行きのホームにやってきた。停車していた電車は東武佐野線の電車と似たような電車だ。お客は少なかったので無事すわれた。そして発車。
すぐに館林の市街地を離れていく。景色は東武佐野線と似たようなものだ。ただしずっと平地である。このあたりは太田までずっと山はないようだ。
このあたりで乗っていないのは東小泉から西小泉までだけなので、東小泉まではゆったりして過ごす。東小泉駅が分岐駅だけどまわりに人家とか全然ないことは覚えている。そんなことを考えているうちに東小泉に着いた。覚えていた景色とほぼ同じだ。そして発車。太田に行くレールと分かれて西に進んでいく。
すると市街地っぽい場所に入っていく。大泉は市ではなく町なのでそれほど家並みは多くないのだが、それなりに商店とか多そうな場所だ。小泉町を過ぎる。
あとはずっと家並みは続く。そして終点西小泉着。電車を降り、葛生で買ったきっぷを渡して改札を通る。
西小泉~東小泉
西小泉駅を出ると、駅からちょっと歩いてふりかえり、駅と駅のまわりの建物を見てみた。それなりににぎやかそうな場所である。市街地というほどではないが、集落というほど小さいわけでもない。
こんな行き止まり駅にどのくらい客がいるのだろうか。住民はみんな自家用車を使っていそうだなあ。まあ高校生がいるか。ちゃんとこの路線が便利になるような位置に高校があるのかなあ。
あとは外国人か。なんでもこのあたりは外国人が多いそうだけど、外国人が自家用車を持つのは難しそうだから、外国人も電車に乗る人が多くて、それで小泉線もやっていけるのかなあ。そんなことを考えた。
さあ、駅をながめたら次の目的地、赤城に行こう。自動券売機で赤城まできっぷを買い、改札を通る。そして電車に乗って発車。もと来た線路を戻っていく。ただしこの電車は館林行きなので太田に行くには東小泉で降りなければならない。小泉町を過ぎる。
すると市街地を離れていき、田んぼが見える東小泉に到着。電車を降りる。電車が発車していく。
東小泉~太田
そしてちょっとだけ待つ。以前ためしに館林から東小泉経由で太田に行ったときもこのくらい待ち時間があったなあ。
ようやく太田行きがやってきたので乗る。そして待つと電車が発車。しばらくは田んぼが続く。
一度見た景色なのでちょっとだけ覚えている。そのうち市街地に入っていき、右から足利市(あしかがし)からやってくるレールが合流してくる。そしてスピードを落とし、終点太田に到着である。
ずっと遅れずに電車が動いたので、あとちょっと事故とかなければいいなあと思いながら、ぼくは電車を降りて階段をのぼり、赤城駅に向かう電車の出るホームに向かった。
旅行記本文
東小泉から乗ってきた電車を太田で降り、階段をのぼっておりて東武桐生線のホームにやってきた。
赤城行きの電車に乗る。1時間に1本だけどけっこう接続がいい。そして発車。電車は東武伊勢崎線と分岐して右に曲がっていく。太田の市街地を出て家並みが少なくなっていく。
右手に山が見える。太田の北にある金山(かなやま)である。それが過ぎると藪塚山(やぶづかやま)だ。
ぼくが原付に乗っていたころはこの山と似たような山によく原付でのぼっていたものだった。事故で入院してこわくなって原付どころか自動車にも乗らなくなっているので、もう縁のない場所だ。せいぜい電車でこうやってながめるくらいだ。電車は進む。
阿左美(あざみ)を過ぎると家並みが増えてくる。大通りを踏切で渡って新桐生着。そこを出ると線路の下をくぐっていく。両毛線だろう。
さらに進むと右手から架線のないレールが合流してくる。どうやらあれがわたらせ渓谷鐵道のようだ。つまりここが相老(あいおい)だ。さらに発車。家の多い場所を進んでいく。
そして終点の赤城に近づいていく。目の前に真っ赤な電車が見える。急行りょうもう号(1994年当時)の車両だ。ふだん準急に乗っていると追い抜かれるだけの車両だ。4月に浅草から鬼怒川温泉に行く特急に乗ったが、りょうもう号にもいつか乗ってみたいなあ。
電車は無事赤城駅に到着した。ちょっと離れたところにもレールが見える。あれがこれから乗る上毛電鉄のようだ。すぐに乗り換えられるようだがきっぷを買っていった方がめんどうでなくていいだろう。いったん改札を出ることにしよう。
発車
太田から乗ってきた電車を赤城で降りる。いちおう別会社だから、いったん改札を出て上毛電鉄のきっぷを買っておこう。
中央前橋まできっぷを買う。電車の発車時刻まではそれほど時間がない。ざっと駅前をながめる。うん、大間々の中心街のようだ。赤城駅のそばを通る道はどうやら北に進むと足尾の方に行けるみたいだ。
もうそろそろ電車が来るころなのでホームに向かう。電車が西桐生の方からやってきた。乗って発車。休日なのでたいして客はいない。
発車するとじきに市街地から離れ、傾斜の多い地形になる。右手に赤城山が大きく見える。
こんな景色もあるんだなあ、いいものだなあと思う。両毛線の近くではあるが、両毛線から見るのとはまた違う赤城山だ。そんな景色がしばらく続く。
到着
1994年当時の新里(にいさと)、粕川(かすかわ)、大胡(おおご)といった場所を過ぎて、ようやく前橋市内に入っていく。相変わらず赤城山は見えている。市内とは言え、まだまだ畑っぽい景色である。
それでもだんだんと標高が下がり、人家が多くなっていく。なんだかいいなあと思う。そのまま片貝(かたかい)、三俣(みつまた)を過ぎる。
そして電車は「じょうとう」という駅にさしかかる。あれ?「じょうとう」なんて駅、あったっけ?
たしかこのあたりでは「いっけまち」という駅があったような気がする。
電車は終点の中央前橋に到着するがいっけまちは通らなかったのでいっけまちがじょうとうになったのだろう。2つの駅名にどんな由来があるのかわからないが、いろいろあるのだろう。
帰宅
とにかく中央前橋に到着した。きっぷを渡して改札を通る。さあ、前橋駅まで歩こう。道順はわかっている。大通りを南南西寄りに歩く。多少のぼり坂だ。
そこを上がると歩道橋だ。数年前から元日に歩道橋の下を駅伝選手が走るようになった。なんで群馬みたいな風の強いところなんかで駅伝をするかわからない。
以前みたいに三重県で駅伝をした方が多少なりとも風が弱くていいのではないかと思うがどうなのだろうか?まあしかたないか。
歩道橋を渡って南に歩くと前橋駅が見えてきた。何年か前に高架になった駅だ。
以前は地上駅だったので伊勢崎方面に行くときは階段を使わずに電車に乗れた(それと引き替えに高崎方面に行くときは階段をのぼっておりる必要があった)。
それが高架に切り替わったわけだが、地上駅から高架駅になる間、数年だけ「橋上駅」だった時代がある。
レールは地面のままで、地上駅の駅舎がなくなり、跨線橋の上に改札を設け、一時的に改札に向かう階段を追加していた時代があったのだ。すなわち、このとき追加した階段は「寿命の短い建造物」だったわけだ。
ぼくはこの時代の前橋駅は数回乗り降りしたことしかないが、日常的にこの時代の前橋駅を使っていた人にとっては思い出になっているだろう。数年間しかない景色だっただけに印象に残っているのではないだろうか。そんな景色を思い出す。そして前橋駅に到着。
前橋駅から電車で帰ることにする。きょうは青春18きっぷは使わなかったが、夏休みが終わったら青春18きっぷの4枚目を使う旅行が待っている。まだまだがんばろう。