2000年にほとんどのJR線に乗ったぼくは、2001年には新しい鉄道に乗る意欲もなく、おもに青春18きっぷを使って近場の観光地めぐりをしていました。
場所としては城ヶ崎海岸、日光東照宮、身延山、松本城などに行っていました。
そして2001年の年末がやってきました。また青春18きっぷが使えます。
ぼくは7年前に行った北海道旅行で乗った、定期観光バスのことを思い出しました。また定期観光バスに乗ってみたいものだなあと考えたわけです。
実家の家族とも定期観光バスに乗ったことがあります。はとバスが2回、宮城県の金華山に行くバス、それから長野県のバスが数回でした。
ぼくは時刻表の巻末の、定期観光バスのページを見てみました。はとバスはたくさんありますが、東京都に住んでいるぼくにとって青春18きっぷで行く場所ではありません。
かと言って、青春18きっぷが有効に使えるくらい遠くのバスは、朝早いバスが多く、アパートを朝早く出ても間に合わないものが多いです。
でも見つけました。静岡にある「するが満喫コース」という定期観光バスは、アパートを朝早く出ると普通列車でもぎりぎり間に合います。
そしてバスの終了時刻から普通列車だけでアパートまで帰れます。
よし、これで行こうと思いました。なにしろ、新聞の広告に出ているようないわゆる「パック旅行」は雨が降っても行く必要があるのに対して、定期観光バスは天気が悪ければ行かなくていいのです。乗る時もその日にお金を払えば、満員でなければ乗れます。そこが便利なところです。
そのまま休日を待ち、ぼくは朝一番の電車で静岡駅に向かいました。
静岡到着
静岡行きの普通列車は、いつものように戸塚近辺の左右の斜面の住宅街を見ながら進んでいた。
なんでも朝早く、東京から静岡までムーンライトながらと同じ車両の普通列車が走るそうだが(2001年現在)、残念ながらぼくが住むアパートからはその列車は間に合わない。
でも静岡行きはその次があるのでそれに乗ることにしたら、けっこうな混雑である。すわれないわけではないが、こんな早朝になんでこんなに用事のある人たちがいるのかなあと思った。実は都心で金曜の夜に酒を飲んでいた人たちかもしれないが。
この列車はムーンライトながらの車両ではなく、普通に東京から熱海まで走っている電車と同じような電車である。まあ熱海の乗り換えはめんどうだから、乗り換えずに静岡まで行ければそれでいい。
電車は大船を過ぎる。ほとんど降りる客もなく、かなり混雑したまま電車は進んでいく。小田原を過ぎると海が見えてくる。先月も福島の塩屋崎や神奈川の葉山で海を見てはいるが、やっぱり1ヶ月ぶりの海はいいなあと思う。そして熱海を過ぎて丹那トンネルに入っていく。
それから静岡までが意外と長い。このあたりはムーンライトながらや、ながらが走る前の大垣行きの夜行で行くのが常だったから、昼間の景色は夜行から見える景色に比べるとなじみが薄い。
富士を過ぎ、清水を過ぎると貨物駅みたいなレールの多いところに入っていく。それが過ぎるとようやく目的地、静岡駅に到着である。遅れずに電車が着いたので予定通り定期観光バスに乗れそうだ。電車を降り、階段をおりて青春18きっぷを見せて改札を通る。きょうは18きっぷはしばらく使うことはないのでだいじにしまっておこう。
浅間神社
さて、時刻表にあった「するが満喫コース」という定期観光バスのチケット売り場はどこだろう。
なんとか見つかった。お金を払ってチケットを買う。同じようにチケットを買う客が集まってはくるが、それほど人数は多くない。10人をちょっと超えたくらいだ。祝日ではあるが、やっぱり12月は寒いから観光ってほどじゃないんだろうなあ。
そしてバスがやってきた。停車し、ガイドさんが出てくる。そして客が乗り込む。やっぱりそんなに客は増えず、10人をちょっと超えたくらいで、空席の方が多いくらいでバスは静岡駅前を発車する。
ガイドさんの自己紹介がある。そして自己紹介もそこそこにすぐに停車する。ここが最初の目的地だと言う。神社である。朝早いので祝日とは言え、人通りは少ない。
ガイドさんの話だと、この神社は浅間神社(せんげんじんじゃ)と言い、徳川家康ゆかりの神社だと言うことである。どおりで古そうだ。
次の客
浅間は長野の浅間山みたいに「あさま」と読むのが普通かと思っていたが、「せんげん」って読むこともあるんだなあと思った。
浅草にも浅草寺って書いて「せんそうじ」って読むお寺があるから似たようなものかと思った。とりあえず神社なのだからさいせんをあげていこう。
さいせんをあげてしばらく神社の建物や神社の木々をながめてすごす。そして出発時間になり、バスに戻るとまた発車だ。
バスは浅間神社を出ると、いったん静岡駅に戻ってきた。すると今までいなかった客が乗ってくる。
そう言えば時刻表にちゃんと書いてあった。朝そんなに早く静岡駅に着けない客は、最初の浅間神社だけ行けないけどほかの場所には行ける、ちょっとだけ安いコースがあるって書いてある。あれはそういうことか。
まあ定期観光バスにはいろいろあるんだなあと納得した。そしてバスは再び発車し、次の目的地へと走っていった。バスは静岡の市街地を離れて人家の少ない場所へと進んでいく。
富士山
「するが満喫コース」の定期観光バスは、静岡駅を出発すると浅間神社(せんげんじんじゃ)に行き、静岡駅に戻って追加の客を乗せ、東に向けて走っていた。
静岡の市街地を離れ、大きな建物の少ない場所に入っていく。静岡県はけっこう山がちな地形で、市街地を離れるととたんに起伏の多い景色になる。東海道本線でさえそうなのだから、バス通りも起伏が多いのに変わりはない。
そんなバスはやがて上り坂をのぼっていく。そして駐車場に来て停車する。ここが次の目的地だとのことだ。バスを降りる。そして振り返ってみた。
うわあ、すごいなあ。
そこにはぽっかりと、大きな富士山が見えたのである。
おそらくいつでもここから富士山が見えるわけじゃないんだろうなあと思う。やっぱり12月のこの時期だからこそ見えるのだろう。
東京のぼくの住むアパートからちょっと歩いたところにも富士山が見える場所はあることはあるが、1年でも見えるのはほんの数日なのだ。
だからこうやってきれいな富士山がまぢかで見えるのはいいなあと思った。しばらく富士山を見ていた。
徳川家康の墓
さあ、そのうちガイドさんに案内される。これからロープウェイに乗るそうだ。乗った先は「久能山」という場所で、そこには徳川家康ゆかりの場所があるとのことだ。そしてまたロープウェイでここに戻ってきて昼食とのことだ。
ロープウェイは定期観光バスでない客もいっしょに乗ることになる。けっこういっぱいになったゴンドラが出発する。
ここのロープウェイはちょっと変わったものだった。
なにしろこっちとむこうで、たいした標高差はなく、山から山へ、水平移動することを目的としたロープウェイだったのである。むしろむこうの方が標高が低い。
でもゴンドラから見える緑の木々は、12月とは言えながめのいいものであった。でもまあ、さっきあざやかな富士山を見たばかりだからなあ。
こんな交通機関もあるんだなあと思いながらゴンドラは久能山に到着する。さあ、おりよう。
てくてくと道を歩く。ロープウェイが通っているくらいだから観光地なのだろう。
仏教の施設らしく、お寺っぽい建物がそこここにある。数時間前に行った浅間神社と同じような、おごそかな場所のようだ。
でも山の上の施設なので広い空間が確保されているわけではなく、曲がりくねった道を進んでいく。こういった施設はいろいろなところでけっこうあったような気がする。
ようやくたどりついた。ここが徳川家康の墓だとのことだ。
ぼくは今年3月に日光東照宮に行った。とても派手な施設だった。そこに比べると、同じ徳川家康ゆかりの場所とは言え、けっこう地味な場所である。しかも日光より交通の便も悪い。
でもお墓なのだから、このくらい地味な場所でもいいような気がした。日光東照宮には日光東照宮の役割があることだし、ここのお墓にはそれなりに役割があってもいいのではないかと思った。
さあ、お墓なのだからおがんでいこう。徳川家康のおかげで今の日本がある。しっかりおがんだらロープウェイの駅まで戻る。
昼食
ロープウェイで駐車場の近くまで戻ってくると昼食となった。やっぱり定期観光バスは豪華な昼食がうれしいものである。
きょうも晴れた空が見える場所でおいしく昼食を食べた。食べ終わるとバスに乗ってまた次の場所に行くことになる。
バスに乗ると次の場所の説明がある。なんでも清水市(2001年現在)に行くそうだ。
清水と言えば4年前に三保の松原に行ったが、きょうは行くかなあと思いながら、ぼくはバスにゆられていた。
遊覧船
徳川家康の墓のある場所の近くからバスに乗って東に進み、しばらく時間がたった。そして着いた場所は清水港だった。
この定期観光バスには清水港の遊覧船も含まれているとのことである。
最近けっこう船に乗ることが多く、遊覧船にも恵那峡とか日本ラインとかに乗ったことがあるので、きょうはどんな海が見えるのかなあと思いながら船に乗る。
やっぱりこういう船は天気がいいことが大事である。きょうは天気がいいのでどんな景色もすばらしいような気がする。
清水の港から見える景色は、そりゃ海なんだからいいものであった。めったに来ることができず、めったに乗ることができない船だから、おそらく港からたいして離れていない場所しかめぐらない船なんだろうが、いかにも港らしいふんいきがなんとも言えないもので、船に乗ってながめを見ている間、いい時間を過ごしたものだった。港に戻り、またバスに乗る。
三保の松原
次の場所は、いよいよ三保の松原だった。バスを降りた場所は、4年前にバスを降りて1キロほど歩いた場所とほぼ同じ場所だった。
とりあえず自由に散歩する場所であったが、まあ定期観光バスだし、たいして散歩する時間もなかった。でも板をたくさん当てられて補強された羽衣の松は立派な観光名所だし、しっかり見ておくことにする。これからもいろいろな植物の観光名所に来ることはあるだろうし、しっかり覚えておくことが観光なのだろう。
バスに戻る。なんだか客が減っている。
ガイドさんの話がある。なんでもここで定期観光バスを離脱し、宿に向かった客がいるとのことである。
定期観光バスは必ずしも終点までいっしょにいなくてもいいのだろう。今まで乗ったことのある定期観光バスでも、網走の流氷バスでは網走港で離脱してもよかったし、はとバスでも浅草で離脱した客もいたような気がする。
途中離脱をうまく使うといろいろ観光に幅が出るのだろう。ぼくもそのうち定期観光バスを途中離脱する機会があるような気がする。
さあ、ぼくはきょうはこのバスを最後の静岡駅まで乗ることにしよう。バスはまた発車だ。そしてしばらく進む。
清水次郎長
バスは別の場所に着いた。ここは清水次郎長の墓だとのことである。
徳川家康もあれば清水次郎長もある、もりだくさんな定期観光バスだなあと思った。
施設に入り、パンフレットをもらって、施設の人に清水次郎長についての説明を受ける。
徳川家康の墓と違ってまちなかにある墓だが、ていねいにまつられているのだからありがたいことだろう。
ここではあまり清水次郎長がどういう人だったかわからなかったが、まあ地元の人にいくらかでも清水次郎長が好きな人がいるのなら、こうやっておまいりする場所がある方がいいのだろう。
そんなことを考える。とりあえず由緒ある場所だということはわかった。まあ定期観光バスだし、こういう場所に寄るのもいいだろう。またバスに乗る。
さあ、もう清水市の観光は終わりで、また静岡市に戻るようだ。どこを通るのだろう。バスは発車し、西に向けて走り出した。
登呂遺跡
「するが満喫コース」の定期観光バスは清水次郎長の墓を出て、清水市(2001年当時)から静岡市へと戻っていく。
海岸通りに出た。どうやらここは数時間前に来た久能山のすぐそばらしい。久能山に直接来たかったら日本平からわざわざロープウェイに乗ることなく、こちらからも行けるとのことだ。ただし長い階段があるそうなので、やっぱりロープウェイ経由の方が良さそうだ。さっき見たみたいにきれいな富士山が見えるかもしれないし。
ガイドさんの話だと、なんでもこのあたりはいろいろな果物が採れるとか。やっぱり静岡は温暖な土地なんだろうなあと思う。そんなふうにしてバスは進んでいく。海岸通りから離れる。
そしてバスは最後の観光地、登呂遺跡に到着した。まずはバスを降りる。
ここはガイドさんもたいして案内はしてくれない。ご自由にごらんくださいという場所らしい。まずは歩いてみよう。
それらしき建物があるので入ってみる。どうやら、はるか昔に使われていた農業の道具などが展示されている場所のようだ。それなりに見学して別の場所に行こう。
とは言ってもたいしたものはない。建物の外に出ると畑がある。畑も遺跡の一部のようだ。まあこんなものなんだろうなあ。そのうち見学終了の時刻になる。バスに戻る。
静岡~熱海
そしてとうとう定期観光バスの終点の静岡駅に帰っていく。ガイドさんからお別れのあいさつがあり、登呂遺跡からたいして時間もかからずに静岡の市街地中心部に入っていき、終点となった。遅れることもなくバスが静岡駅に着いたので18きっぷで東京に帰れるだろう。
さあ、あとは東京に帰るだけだ。
もう少し待てば直通の東京行きがあるが、アパートに着くのが深夜になるので、やはり熱海乗り換えで行くことにする。
約10時間ぶりに青春18きっぷを取り出す。こんな使い方も珍しい。そして静岡駅の改札を通り、いつものように熱海行きに乗る。夕方おそいとそれほど混雑はしていないようだ。そして発車。
いつもの静岡の東の貨物駅っぽいところを過ぎて、清水で客がけっこう降りる。もう暗いのでそれほど景色は見えないが、ところどころ国道とか海とか見えて、丹那トンネルに入る。出ると終点熱海だ。
帰宅
なんとか東京行きに乗り換える。もちろんすわれるのでゆっくり休んでいこう。昼間なら小田原までの間も海が見えるはずだが、もう暗い。
ぼくはきょう乗った定期観光バスのことを思い出してみた。やっぱり観光地をめぐる、ガイドさんのいるバスっていうのはいい。
なんでも世の中にはパック旅行というのがあるそうだが、泊まりがけのパック旅行だと、あまり相性のよくない人といっしょになったときに2日も3日もいっしょにいなくてはならなくて面倒だが、定期観光バスならその日1日限りですむ、といった違いがある。
今年の旅行はこれで終わりだが、来年も何回か定期観光バスに乗っていきたい。ぼくはさっそく来年1月に予定している定期観光バス旅行を楽しみにしながら、東京へと帰っていった。