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Sorry, Japanese only! (1996年8月その1)

58.三岐鉄道と北勢線

説明

1996年7月の青春18きっぷ旅行も無事終わり、2週間が過ぎました。会社の夏休み前の仕事も終わり、帰省できることになりました。去年と同様に、夏休みに旅行しようと思いましたが、計画的に残り4回分を使おうと思いました。

帰省で2回、残りを近江鉄道と中国地方の旅行にしようと思いましたが、この帰省の2回のうち1回は、いったん大垣行き夜行で名古屋方面に行った後で、昼間のうちに東京の方に進んで帰省しようと思いました。

適当なところは三岐鉄道と近鉄北勢線がありました。しかも三岐鉄道の途中駅、伊勢治田(いせはった)駅と近鉄北勢線の終点、阿下喜(あげき)駅は地図を見る限り歩いていける距離のようです。ここを歩いていこうと思いました。

NATT(名古屋の時刻表)を見て調べたところ、三岐鉄道は途中駅までしか行かない列車が多く、終点西藤原まで行く列車は1時間に1本のようです。それに比べると近鉄北勢線は多少電車が多いようです。ですので、近鉄富田→西藤原→伊勢治田(歩)阿下喜→西桑名という経路で行こうと思いました。

さて、大垣行き夜行で名古屋に着いて、関西本線に乗ろうとすると40分待つことになります。それから富田に行って近鉄富田に行こうとするとけっこう時間がかかり、しかもすぐ西藤原行きには乗れないようです。
NATTで見たところ、もし近鉄名古屋まで歩き、近鉄で近鉄富田に行った場合、接続が良く、1時間早い西藤原行きに乗れることがわかりました。つまり実家に1時間早く帰れるわけです。実家には早く帰ろうかと思ったので近鉄を使うことにしました。

ムーンライトながらの指定席券は売り切れでした。去年8月中旬に雛形あきこちゃんと握手するため大垣行きに乗ったときはものすごい混雑だったから、今回もそうかもしれないなと思いましたがしかたがありません。臨時大垣行きに乗ることにしましょう。このようにしてぼくは品川に向かったのです。

東海道本線その1

旅行記本文

山手線は、無事品川駅に到着した。
8月の大垣行き夜行は、去年はひどく混雑したものだった。今年もそうなるんじゃないかと思いながら臨時ホームに向かった。

お客は少なかった。今行列に並んでおけばすわれそうだ。並んで待つ。たいしてお客も来ないうちに臨時大垣行きが入線した。どうやら今日は去年ほど混雑しないようだ。
ムーンライトながらが走り出す今年3月以前の大垣行きではいつもそうだったように、発車直前にネクタイ姿のサラリーマンが何人もやってくる。そして発車だ。

こんなに混雑しているのに、ちゃんと車掌がお客をかきわけやってきた。
青春18きっぷに日付を入れてもらう。これで降りる駅で日付を入れてもらう必要がなくなった。
横浜でかなりお客が乗ってくるが、大船を過ぎるとどんどん客が降りていき、小田原では通路のお客がかなり少なくなった。そのまま少し眠る。

以前は浜松で駅を出てコンビニで買い物したものだが、最近はずっと車内にいることが多い。
豊橋を過ぎてしばらくすると明るくなってきた。そのまま名古屋に到着。今日は先月の旅行につづいて名古屋で降りる。

今日は先月と違い、近鉄名古屋に行かなければならない。改札を出て急いで近鉄へと向かった。

近鉄名古屋線

旅行記本文

臨時の大垣行き夜行を名古屋駅で降りて近鉄名古屋駅に向かった。券売機で近鉄富田駅まできっぷを買った。

今回はNATT(名古屋の時刻表)でだいたいの近鉄の列車時刻は調べてある。どうやら予定していた三岐鉄道の列車に間に合う列車に乗れそうである。伊勢中川行きの急行である。案内で急行のホームを見つけて乗った。電車が発車した。

急行なので去年乗った普通列車と比べてスピードが速く、地上に出るとすいすい平野を進んでいく。そのうち長い橋を何本か渡った。名古屋の平野は川が集中しているのだ。

桑名に着くとかなり客が乗ってきた。四日市方面に通う客だろう。電車はかなりの客を乗せてすいすい進む。そしてようやく近鉄富田に着いた。乗る人をかきわけ降りた。無事三岐鉄道の西藤原行きに間に合いそうだ。ぼくは三岐鉄道のホームに向かうことにした。

三岐鉄道

近鉄富田~西藤原

近鉄の電車を近鉄富田で降りたぼくは、階段をおりてのぼって三岐鉄道のホームに行く。
さすがにこんな朝にここに来る人は少なく、大垣行き夜行を降りてここに来る人もいないようだ。

電車に乗ると発車する。車掌がやってきたので近鉄のきっぷを渡し、お金を払って西藤原までのきっぷを買う。

山の間を走る路線かと思ったが、かなり進んでもずっと平野が続いている。まるでお客が乗ってこないまま進み、山のふもとといった感じの終点、西藤原に到着。まずは降りる。


西藤原~伊勢治田

窓口で伊勢治田(いせはった)まできっぷを買い、同じ電車にふたたび乗る。
お客の数は似たようなもので、また発車である。
山の近くから平野に戻り、3~4駅ほど進んで目的地、伊勢治田に到着した。ここで降りる。

駅で若い男が「もう電車行っちゃったんですか?」と話しかけてきた。ぼくは、「はい。次の電車は1時間後です。」と言った。男は「どうしようかな~」と言っている。電車の数が少ないとたいへんそうである。

さあ、近鉄の阿下喜(あげき)駅まで歩かなければならない。
無事歩けるだろうかと心配になりながら、ぼくは猛暑の住宅地を歩き出した。

近鉄北勢線

伊勢治田駅~阿下喜駅

西藤原から乗ってきた三岐鉄道の電車を伊勢治田(いせはった)で降りた。ここから近鉄北勢線の阿下喜(あげき)まで歩くことにする。伊勢治田は出口が阿下喜とは反対側にしかないので、駅のそばの踏切を渡る。ここは人家の多い集落であるが、お店とかはない。

細い道を進む。車もほとんど通らない。そのうち下り坂になり、坂をおりると広い道に出た。道に沿って進むと家並みがとぎれ、田んぼの広がる場所に出た。道を進む。
進むと田んぼのまんなかに電車が進んでいくのが見えた。やっと着いたなあと思った。さらに進んでようやく阿下喜到着である。それにしても暑い。売店のおばさんが声をかけてきたので会話する。

「暑いですね」
「夏は暑い方がいいですよ。夏が寒かったら、また××米食べなくちゃなんなくなっちゃう(××はとある国名)」
「あはは」


阿下喜~西桑名

西桑名まできっぷを買う。2005年現在の北勢線と違い、このころは多少電車が多く、すぐに西桑名行きがやってきた。乗ってはみたが、さすがにお客は少ない。そのまま進む。西桑名に近づくと家並みが多少増えてきたがお客は少ないままである。

ようやく電車は西桑名に到着した。改札を出ると、JRの桑名駅は多少離れたところにあった。時刻表では名古屋行きが出る時刻が迫っているようだったがなんとか間に合いそうだ。

確か去年菅野美穂ちゃんと名古屋で握手した日に近鉄養老線から関西本線に乗り換えたんだった。まちがえて近鉄のホームに行かないようにしないといけないなと思いながら、ぼくは青春18きっぷを取り出した。

関西本線

旅行記本文

近鉄の西桑名駅から桑名駅まで歩き、青春18きっぷを見せて改札を通った。
すぐに名古屋行きがやってくる。快速みえだ。
さすがに混雑していてすわれない。でも名古屋まで停車しないのでこれ以上混雑することもない。

数時間前に通った近鉄名古屋線とそんなに変わらない、橋のたくさんある風景を過ぎ、名古屋のそばとは思えない人家の少ない場所を通り、名古屋駅に到着した。
さあ、今日中に東京を通り抜けて実家に帰らなければならない。先を急ごう。ぼくは東海道本線のホームに向かった。

東海道本線その2

旅行記本文

先月につづいて関西本線を名古屋で降りて東海道本線のホームにやってきた。8月なので先月より混雑しているようだ。
それでもなんとか浜松まで乗り、熱海行きに乗り換えた。まだ12時前である。相変わらずすわれぬまま過ごす。

静岡で、JRの職員らしき人たちが入り口からどやどやとやってきて、ぼくたち乗っている人たちをどかして前に行ってくださいと言った。
そして郵便物らしい荷物をどかどか運び入れて、下の図のように幕を引いて幕のうしろに客が行けないようにした。(下の図の「幕」の所)

席_席幕席席扉扉席席□車
席_席幕__荷物__□掌
←前_幕__荷物→後□_
席_席幕__荷物__□_
席_席幕席席扉扉席席□_

高校生のころは、国鉄の列車に郵便車という特別の車両がついていて、その車両で郵便物を運んだりしていたそうだが、今は普通の車両の一部で運んでいるのか、なかなかおもしろいなと思った。
そんなわけですわれずに熱海まで過ごした。

熱海からは車両数が多いのですわることができた。海を見ながら快適に過ごす。
今日は実家まで帰らなければならない。東京駅に着いたときは午後3時ごろだった。
しかし階段はせまく、おりるお客もとてもゆっくり進んでいる。やっぱり東京駅で乗り換えるのはめんどうだなあ。

今度東海道本線から京浜東北線に乗り換えるときは、東京駅でなく別の駅で乗り換えようと思った。あとは実家で休んで、残りの青春18きっぷ3回分を使う旅行に備えて体力をたくわえようと思った。

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