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Sorry, Japanese only! (1996年3月その3)

90.木次線と三江線

説明

1996年も3月が近づきました、青春18きっぷはこの春から1枚つづりで5回分というきっぷにルールが変更になってしまっています。だから5回旅行しようと考えました。1回分は既に松江~姫路を伯備線や姫新線を通って行くことに決まっています。

あと4回あります。品川発大垣行きの夜行に乗って行ってもいいのですが、4回全部それだと飽きるので、1回くらい夜行高速バスでどこかに行って、18きっぷでJRをめぐって、また夜行高速バスで帰るという旅行をしてみたいと思いました。既にそんな旅行を何回かやっています。

時刻表を見て、よし、この横浜~広島の「赤いくつ」という高速バスに三次まで乗って、三次から芸備線、木次線、山陰本線、三江線とひとまわりして戻って来よう、と考えました。時刻表で時刻を調べたらうまくまわれそうです。本厚木から乗るのは横浜や町田より運賃が安くなるからです。

さてバスの乗車券をどこで買うかですが、横浜で女子マラソンをやっている日に横浜で買うことにしました。
本厚木から乗りますが、横浜始発の高速バスなのだから横浜に行けば手数料なしで買えるだろうと思ったわけです。
マラソンの日になり、横浜駅近くのバスの発車する場所に行きました。横浜そごうでした。

窓口らしき場所に行って本厚木~三次の「赤いくつ」の乗車券を買おうとすると、まず電話してほしいとのことです。それから、たった今からここの窓口は1時間休憩するから電話が終わったあとは休憩明けに来てほしいとのことでした。

そんなわけで電話したら、無事予約できました。あとはマラソンを見に行ってからでいいと思い、関内に行ってマラソン選手をぼーっと見てから横浜そごうの所の窓口に戻り、係員から高速バスの乗車券を無事に買うことができました。

こうして準備も整い、1996年春の青春18きっぷの旅も無事に2つこなし、3回目を迎えることになったのです。

なお、残念ながら「赤いくつ」は廃止になり、代わりの横浜~広島のバスは三次は経由せず、代わりに福山を経由するようになってしまいました。
また、2009年ごろまでは東京~広島の高速バス「ニューブリーズ」も三次を経由していたのですが、2010年になるとニューブリーズは三次を経由しなくなってしまいました。大阪~広島の夜行便も経由しないため、2016年現在、三次に朝到着する夜行バスは名古屋~広島の高速バス「広島ドリーム名古屋号」のみとなってしまいました(なお、2010年の時点ではこのバスは「セレナーデ」という名称だった)。

高速バス・本厚木~三次

本厚木駅周辺

小田急の電車は無事本厚木駅に到着した。

広島行き夜行バス「赤いくつ」号の発車まではまだ時間があるが、まずは発車する場所を確認する必要がある。ぼくはチケットを買った横浜駅でもらったパンフレットを見て、駅を出て左に進んだ。するとほんのわずかの街の一角に、「広島行き」などと書かれた停留所みたいな施設があった。どうやらここがバスの停留所らしい。ここで待つことにした。

やがてぞくぞくとお客がやってきた。やっぱりここで乗るお客はそれなりにいるようだ。

なんとなくせきっぽいような気がした。こんな時は龍角散が飲みたい。

すぐそばに薬局があったので龍角散を買った。1ぱい飲むとのどがすっきりした。そしてバスを待つ。

いつまでたってもバスはやって来ない。そしてこの駅始発の盛岡行きがお客を多少乗せて出ていった。

そしてさらに待った。他のお客も不安そうである。


本厚木~三次

発車予定時刻を1時間も過ぎてバスはやってきた。運転手が降りてきたのでチケットを渡した。運転手は他のお客に「途中事故で渋滞しちゃって」などと言っている。
まあなんとかバスが来て良かった。ぼくもバスに乗る。そして自分の席に行き、すわってシートベルトをしめる。お客の乗車が終わり、発車である。

このバスは本厚木を出ると三次まで停車しないのでそのまま消灯となる。ぼくは龍角散をもう1ぱい飲み、無事にバスが三次に着けるのかと不安になりながら眠りについた。

気がつくと朝になっていた。しかも交代運転手の「まもなく三次です」というアナウンスが聞こえる。

カーテンが開くとすでに高速を降りていて一般道を走っていた。あわてて荷物をまとめた。

本厚木駅を1時間も遅れて発車したのに、なぜか三次では定刻になっていた。
そして2年前にも来た三次駅前に赤いくつ号は到着した。ここでバスを降りる。

さあ、3週間前と同じく楽しい旅行の始まりだ、と思いながらぼくは三次駅の駅舎へと入っていった。

芸備線

三次~備後庄原

本厚木から乗ってきた横浜発広島行き夜行バス「赤いくつ号」を三次(みよし)駅で降りた。

本厚木では1時間も遅れて発車したのに、なぜか三次では定刻になっていたのが不思議である。

予定ではここから備後庄原(びんごしょうはら)行きの列車に乗り、備後庄原で1時間半ほど過ごして備後落合行きに乗り継ぐ予定だったが、ひょっとしたら三江線の江津行きの始発に乗れるんじゃないかと思い、改札からながめてみた。

しかし列車は見えなかった。もう発車してしまったんだろうと思い、予定通り備後庄原行きに乗ることにする。

この春から1枚で5回分のルールになってしまった青春18きっぷを出し、3日目のところにスタンプを押してもらった。
そしてホームに出る。備後庄原行きのディーゼル車は停車していたので乗った。

発車時刻が来て、ドアが閉まり、発車である。
ディーゼル車は盆地を進んでいく。

途中、いくらか人の乗り降りがあるものの、おととし広島から三次まで乗った時に味わったような激しい混雑はなく、楽なままディーゼル車は盆地を進んでいく。


備後庄原駅周辺

そしてディーゼル車は終点、備後庄原に到着した。ここで約1時間あまりの待ち合わせである。その間に街でも散歩しよう。

青春18きっぷを見せてディーゼル車を降りて駅前に出て、ひとまず西の方向に歩いてみることにした。

何もない。

いちおう家の多い集落ではあるのだが、コンビニっぽい店もなく、古い田舎の町並みが続いているだけであった。
しばらく西に進んだところで北に曲がり、川があったので渡って川沿いを東に進んでみたものの、やはり田舎っぽい景色しか見えなかった。

結局備後庄原は、あまり開発されていない田舎町といったところのようである。

また川を南に渡り、いろいろ進んでなんとか駅に戻ってきた。まだ備後落合行きの列車までは時間があるが、もう動く気になれない。

ホームに行って列車を待った。


備後庄原~備後落合

列車がやってきた。ドアが開き、乗る。もちろんお客はほとんどおらず、楽にすわれた。

ドアが閉まり、列車は発車していく。そして列車は進む。

次第にディーゼル車は備後庄原の盆地の風景から山の中の風景へと移り変わっていった。

そしてとっぷりと山の中に入ったころ、ディーゼル車は終点、備後落合駅に到着した。

ぼくはこれから乗る木次(きすき)線ってどんなところだろうかとわくわくしながらディーゼル車を降りた。

木次線

備後落合~出雲坂根

備後落合は山の中の駅であった。あたりに大きな建物もなく、ただ分岐するためだけに作られた駅のような気がする。

まずは宍道(しんじ)行きの1両きりのディーゼル車に乗り込んだ。ぼくが備後落合まで乗ってきた列車から乗り換えた人も若干いるが、それも含めてあまりお客がいないまま列車は発車し進んでいく。

昨夜乗った高速バス「赤いくつ」号ではかなり良く眠れたので、あまり眠くなく、おだやかに景色をながめることができる。

そのうちディーゼル車が駅でも何でもない場所で停車した。前から何か持った運転手さんが後ろのほうに歩いていった。あとから考えると、それはブレーキコックだったらしい。

そして運転手さんが後ろの運転席にすわってしばらくすると、ディーゼル車がバックを始めた。
ああそうか、ここは木次線だから、スイッチバックがあったんだっけなあと思った。


出雲坂根~宍道

しばらくバックを続けるとディーゼル車は駅に着いた。出雲坂根(いずもさかね)駅である。
降りていく客が何人かいる。しばらく停車するとアナウンスされている。

ぼくも降りると、お客はホームにあるわき水の出る所で水を飲んでいる。そうだ、出雲坂根は「延命の水」で有名だったと思い出した。

順番を待ってぼくも水を飲んでみた。塩素くさくなくていい水である。
まずは話の種ができたなあと思い、ディーゼル車に戻った。また発車する方向が逆になった。

その後も木次(きすき)など、大きな駅に長く停車したりするが、あまりお客は乗ってこない。

あとは木々のおいしげる、3月の景色の中をディーゼル車は進み、あまりお客も乗って来ず、山の斜面がとぎれたころ、ディーゼル車は終点、宍道(しんじ)に到着した。

一畑電鉄

出雲市駅

宍道(しんじ)駅でしばらく待っていると、やってきた電車は東海道線でよく見られるようなだいだい色と緑のツートンカラーの電車であった。乗り込んで進む。右側に水面が見えてきた。おそらく宍道湖だろうと思った。

電車は宍道湖を見ながら西に進み、ちょっとだけ人家が増えてきたところで出雲市に着いた。
時刻表によれば次に出る一畑電鉄まであまり時間がないようなので、急いで改札に向かい、青春18きっぷを見せて改札を出た。どうやら北の出口を出て、右側に一畑電鉄があるようだ。


電鉄出雲市~川跡

なんとか一畑電鉄の電鉄出雲市駅の駅舎にやってきた。自動券売機をみつけて出雲大社前までの運賃を払ってきっぷを買い、改札を通って松江温泉行きの電車に乗り込むとすぐに電車は発車した。

一畑電鉄はそれなりにお客がいた。土曜のお昼なので高校生がけっこういる。

電車はしばらく山陰本線と並行して進んだが、すぐに北へと方向を変えた。
出雲大社前に行くにはこの先の川跡(かわと)で乗り換える必要があるのでアナウンスに注意した。

平野のまんなかを電車は進む。進んで進んで川跡にやってきた。


川跡~出雲大社前

電車が川跡に着くと、同じような電車が2台待っていた。
どうやらこれから乗ることになる出雲大社前行きの電車と、すれちがいの電鉄出雲市行きの電車らしい。

なるほど、すれちがいと接続をいっぺんにやってしまうわけである。
とても効率の良いダイヤである。他の私鉄も見習って欲しいものである。

ぼくは出雲大社前行きの電車に乗り換えた。同じように乗り換える人はいるが、それほどの人でもない。
やはり出雲大社は電車で行く場所ではなく、観光バスで行くものなのであろう。

同じような景色をそのまま進んで電車は出雲大社前駅に到着した。

どことなく古びた感じの駅であった。観光地に直結した駅とはいえ、観光客にそんなに使われていないんだからこんなもんだろう。きっぷを渡して改札を出た。


参拝

さて、ここから出雲大社まで行く必要がある。

しばらく北に歩くと入口らしき場所がすぐに見つかった。はいってみる。少なくともさいせんをあげる場所までは行きたいなと考えた。

てくてく、てくてく出雲大社の中を歩く。広いなあ。

広い、とても広い境内をずっとずっと進むと、ようやくようやくさいせんをあげる場所にやってきた。さいせんをあげて祈る。

どうやらわきから抜ける道があるようだ。帰りはこっちから帰ろう。
と思ったら、その道のそばにバス停があり、「出雲大社」と書いてある。つまりバスはここが終点なのだ。

とは言っても帰りも電車で帰りたいと思って出雲大社のわきのバス通りを歩き出すが、さきほど入った出雲大社の入口までやってきて、やっぱりバスで帰りたくなってきた。行きとは違う景色が見たくなってきたからだ。


バス

なんとここにもバス停がある。それだけ出雲大社は広かったということだ。こんなに広いんだ、すごいなあと改めて思う。バス停でバスを待つとほどなく出雲市行きのバスがやってきた。整理券を取って席にすわった。

バスはブロロロと進む。いなかの景色の中を進む。電車に比べて別段便利というわけでもない。

でも、電車の通りと違った景色が見えるので乗ってみた。けっこう気持ちのいい景色である。

乗り換えもなく、そのまま出雲市駅に到着した。


昼食

さて、これから山陰本線で江津(ごうつ)に行く必要があるのだが、それまで1時間弱の時間がある。

まだ昼食を食べていないので、出雲と言えばそばだろうと思い、駅のそば屋に行くことにした。やっぱり立ち食いよりは食堂の方がいいだろうと思い、食堂に入り、割り子そばを注文した。しかし、ここのそば屋はあまり時間をかけずに調理してくれるかちょっと心配になった。ところによりものすごく時間のかかるそば屋ってあるからなあ。
ぼくのほかに客がいないのが幸いだけど。

案じることもなくそばがやってきた。もちろんうまい。

このようにして時間を過ごし、ころあいもいいところでそば屋を出て、江津まで乗ることになる山陰本線のホームに向かうことにした。

山陰本線

旅行記本文

出雲市駅で青春18きっぷを見せて改札に入り、階段を進んで山陰本線のホームに行き、ディーゼル車に乗った。けっこう古い列車のようだった。

まずは西出雲に行く。西出雲を過ぎると左手に大きな車庫が見えてきた。特急やくもの車両がたくさん休んでいるのが見えた。向こうは架線があるが、今通っている車庫のとなりの線路には架線はない。

そのまま進み、車庫が終わった。小高い丘の間をディーゼル車は進んでいく。

そのうち右手に日本海が見えてきた。多少波が荒いようだ。3月のやや風の強い海が旅行者たちを、そして地元の人たちを迎えている。この列車はあまり観光客が多くないのでめずらしそうに海を見る人はいない。

そのまま1時間ちょっと過ぎて、江津(ごうつ)に到着した。ぼくがこれから三次(みよし)まで乗ることになるやや新しめのディーゼル車はすでにホームにあった。

三江線

江津

江津(ごうつ)で停車している三次(みよし)行きディーゼル車は、まだ午後4時過ぎだというのに既に今日の三次行きの最終列車であった。1日3本しかなく、朝と今と約2時間前の列車しかないのである。

新しいディーゼル車に乗り、ロングシートにすわった。それほど混雑もしていない。

なにごともなく、そのまま発車する。

発車してしばらくすると川が見えてきた。おととし乗った只見線や米坂線も川がきれいな路線だったなあと思い出した。
去年乗った飯山線も川がきれいだった。全国にこんなに川がきれいな路線があるならもっと乗ってみたいなあと思った。しかしそれもつかのま、あたりは暗くなり、川も見えなくなってきた。


兄妹

とある駅で、お兄ちゃんと妹のきょうだいが乗り込んできた。ホームには母親らしき女性がいて、彼らを見守っていた。そのままドアが閉まり、ディーゼル車はまた発車した。

なんだか心細いきょうだいだなあと彼らを見ていると、遊び始めた。当時日本テレビ系列で放送されていた「マジカル頭脳パワー」のマジカルバナナというコーナーの遊びをきょうだいで始めている。

兄「マージーカールーバーナーナ!」
妹「まーじーかーるーばーなーな…」
兄「バナナと言ったら…」

そんな光景を見ながらぼくは退屈せずに過ごした。

またとある駅で彼らは降りていった。ホームにさっきの母親らしき人よりも年輩そうな女性が迎えに来ていた。おそらくおばあちゃんだろう。なるほど、土日を使っておばあちゃんの家にお泊まりか。こうやって三江線は島根県民の足として使われているんだろうなあと思った。


三次

もう真っ暗になってしまった。彼らが降りるとほとんどお客はいない。もしかしたら江津から三次までずっと乗るのはぼくだけかもしれない。

そんなことを考えているうちにディーゼル車は三次に近づいた。もう川はそばにはなく、山の間をぬって進んでいるらしい。そのうち街の明かりが見えるようになってきた。

そしてディーゼル車は三次駅に到着した。ディーゼル車を降りると、そこが今朝芸備線に乗るために入った改札とはかなり離れた場所にあることがわかった。小山駅の両毛線ホームや、米沢駅の米坂線ホームに似ていると思った。青春18きっぷを見せて改札を出た。


夕食

さて、これから本厚木まで乗る夜行バス「赤いくつ」までは時間があるので夕食と行こう。

2年前の12月にここに来た時はまだ朝10時だったので開いたばかりのファミリーレストランを見つけて食事したものだった。しかし今は午後8時過ぎ、別の店も開いているだろうとあたりを見回してみた。

駅の左手に、あの時はまだ営業していなかった食堂があった。行ってみた。

多少せまい店だったが、ファミリーレストランより家庭的な定食を食べて過ごした。まずはこれで今回の青春18きっぷ3回目の旅行も無事に終わりそうである。

三次駅に戻った。高速バスは駅前に停車するようだ。便利である。まずは東京駅行きのニューブリーズが停車する。おととしニューブリーズに東京から広島まで乗った時は4台編成だったなあと思い出したら、やっぱり今回も4台編成のようで、JRのバスやちょっと模様の違うバス(小田急バスだろう)がどやどやとやってきた。そして駅で待っている人がどんどん乗り込んでいった。それでも乗らずに待っている人がいる。おそらくこれらの人たちが横浜行き赤いくつの乗客だろう。多少女性が多いようである。行きは男の方が多いようだったけど、やっぱり本厚木だったからかもしれないなあと思う。


バス

しばらくすると高速バスがやってきた。赤いくつだ。

やってきたバスは、きのう本厚木から三次まで乗ったバスと同じ、青い車体のバスであった。

今回もバスは1台だけである。

バスに乗ってシートベルトをしめた。何回も乗っているから快適である。
ずっとこうやってバスを利用していきたいと考えた。全員乗り込んだようである。

そしてバスは三次駅を出発していった。

高速バス・三次~本厚木

旅行記本文

横浜行き夜行バス「赤いくつ」号は無事三次(みよし)駅前を発車した。

まずはバス前方のディスプレイに高速バスの案内が流れる。流れ終わるとこのバスは三次以降本厚木まで停車しないので、そのまま消灯となってしまった。

ぼくは今日は1日列車に乗り通しだったのでかなり疲れているため、早々と眠ってしまった。

気がつくと交代運転手の「まもなく本厚木です」のアナウンスに起こされる。ずっとカーテンが引かれていたので、厚木のインターチェンジをすでに降りていたことにも気がつかない。

朝の準備もそこそこに、バスは本厚木駅前、おととい乗った場所に停車した。そこでねぼけまなこのままバスを降ろされた。まずは今回の旅行も無事に終えることができそうである。

ぼくは他のお客とともに小田急の本厚木駅に向かい、きっぷを買って小田急に乗った。朝の日曜とは言え、けっこうお客が乗っている。アパートに帰ったら、お昼まで寝ようと考えた。

さあ、来週も青春18きっぷの旅行だ、今度できた「ムーンライトながら」という快速に乗って、三重県にある名松(めいしょう)線に乗ろう、と考えた。

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