102.寝台特急はやぶさ往復旅行
説明
寝台特急のB寝台個室、「ソロ」というのに乗ってみたいと思いました。
なんでも九州に向かう寝台特急、「富士」「はやぶさ」と青森に向かう寝台特急「あけぼの」、そして北海道に向かう「北斗星」「トワイライトエクスプレス」に連結されているそうです。
なんとなくまだ乗っていない広島県の可部(かべ)線に乗ってみたいと思いました。ですので「富士」か「はやぶさ」で広島まで行き、帰りは新幹線で帰りたいと思いました。可部線を乗るのに便利な「広島・宮島ミニ周遊券」というのがあるということもあります。
ちょうど文化の日の前後に3連休があるのでそこで旅行するとよさそうです。
ぼくは淡路町にあるジョイロード東京に行き、富士かはやぶさのソロが空いているか調べてもらいました。
残念!空いていませんでした。一般B寝台なら空いているらしいです。
一般B寝台を使うなら広島・宮島ミニ周遊券を使うより、指定席往復割引きっぷを使った方がお得なので使うことにしました。帰りは新幹線よりも寝台特急の方がお得なのでどうせならと往復ともはやぶさを頼みました。無事広島までの指定席往復割引きっぷが買え、はやぶさの一般B寝台が往復とも取れました。
こうして可部線をはじめとする広島往復旅行がはじまったのです。
(注意1:当時は広島まで往復寝台車に乗れる指定席往復割引きっぷが発売されておりましたが、「サンライズ出雲・瀬戸」の運行と引き替えに発売されなくなってしまいました。
2009年3月現在、山陽本線にサンライズ出雲・瀬戸以外の寝台特急がなくなったため、もう往復山陽本線を通る寝台車に乗ることを目的とした割引きっぷはありません。)
(注意2:当時ははやぶさにソロが連結されておりましたが、その後連結されなくなり、引き替えにしばらくの間さくらにソロが連結されるようになっておりました。)
山陽本線その1
東京駅
東京駅に着いた。まずははやぶさの発車するホームに向かう。
そこは去年さくらに乗った時にも使った、今まで東海道線ホームがあった場所にもう1つ上越方面の新幹線ホームを作るための工事の一環として造られた狭いホームであった。
待っていると、まずさくらがやってきた。さくらに乗るお客がどんどんやってきて乗っていく。
乗らない客ははやぶさに乗るのだろう。
そしてさくらが発車していく。見送ってしばらくするとはやぶさがやってきた。ドアが開いたので乗る。
寝台にやってきた。他のお客もやってくる。去年乗った時は阪神大震災の後、さくらが復旧してすぐの乗車だったためすいていたが、今日はあの時よりは混雑しているようだ。
そして発車時刻がやってきた。今日もさくらに乗った時と同じく、使っているのは指定席往復割引きっぷだ。
発車した。2度目のブルートレイン旅行のはじまりだ。
新垂井線
いつもの東海道線のルートを通り、寝っころがって通勤客を見ながら進んでいく。多摩川を渡る。
今日はさくらに乗った時みたいに食堂車だった場所には行かず、もう眠ろうと思った。そして横になる。
しかし目がさえて眠れない。
そうするうちに名古屋を過ぎた。
どうせだから、去年さくらに乗った時に見た、大垣~関ヶ原間の特急しか通らない場所を窓から見てみようと思った。「新垂井線」である。
あの時と同じく、大垣を過ぎる。美濃赤坂に向かう線路は今年の4月に青春18きっぷで行った時に樽見鉄道といっしょに乗った。
そしてしばらくすると、はやぶさはいったん左に進み、普通列車が通る下りと上りの線路をくぐって右に曲がっていく。2度目の新垂井線だ。
はやぶさは森の中に入っていき、左にカーブする。
右手にお墓があったんだよなあと思いながら確認するとやっぱりお墓が見えた。
何本かトンネルをくぐって、また左にカーブした。トンネルを抜けると畑が広がっている。
関ヶ原~広島
そして右に曲がり、ガチャンとポイントを通過し、さらに進むと関ヶ原の戦いの東軍と西軍の看板が見え、関ヶ原であることを確認した。
さて、さくらに乗った時は博多まで行ったが、今日は広島で降りなければならないのでもう寝ようと考えた。そしてむりやり眠った。
目を開け、腕時計を見た。よかった。まだ広島に到着する時刻にはなっていないようだ。
寝台特急は降りる時刻になったら車掌さんが起こしに来るはずだよなあと思い、荷物をまとめて待っていた。すると車掌さんがやってきて、小声でもうすぐ広島ですよと話しかけてきた。
起きてますとこたえておいた。これでいいだろう。
到着時刻が近づいたので、荷物を持って出口に向かう。広島で降りるのはぼくだけかと思ったが、何人かいるようだ。
そしてスピードが落ち、ホームが見えてきた。そして到着。ドアが開いたので降りた。
さあ、広島の旅行の始まりだ。まだ空は真っ暗である。ぼくはこれから乗る可部線のホームを探すことにした。
可部線その1
旅行記本文
寝台特急はやぶさを広島駅で降りた。まだ空はまっくらである。
ぼくは階段を昇っておりて可部(かべ)線のホームに向かった。始発までまだ時間がある。しばらく待った。
ようやく可部行きの電車がやってきた。こんな時刻だからまだお客も数えるほどしかいない。
乗って待つとドアが閉まり、発車である。
電車は市街地を進んでいく。広島は平野が狭いのでかなり遠くまで市街地が続いているようである。
市街地の家並みが多少少なくなってきたころ、電車は終点、可部に到着である。
空は多少明るくなりかけていた。
電車は行き止まりホームに停車する。そのとなりに通過型のディーゼル車のホームがあり、ディーゼル車が停車していた。
でもその加計(かけ)行きのディーゼル車の発車時刻まで時間があり、まだドアも開いていなかったので、しばらくホームで待つことにした。
可部線その2
可部~加計
可部(かべ)駅でしばらく待っていると、ようやく加計(かけ)駅行きのディーゼル車のドアが開いた。乗って待つと発車である。
お客は少ない。可部線はやっていけるのか心配になった。
すぐにディーゼル車は市街地を離れ、渓谷に入っていった。川沿いのレールをディーゼル車は進む。
車掌がやってきたので、ぼくは寝台特急はやぶさに乗るのに使った「東京都区内→広島市内」の指定席往復割引きっぷを見せ、「加計まで」と言った。
車掌はガリガリとプリンタ装置を操作してぼくに「小河内(おがうち)→加計」と書かれたプリンタ券を売ってくれた。
特別ルールにより、「広島市内」は可部線の小河内まで続いており、そこから三段峡(さんだんきょう)方面に乗り越す場合、境界の駅、小河内からの運賃を払えばよいルールになっているのだ。
それにぼくはこの乗り越しの時に使うぺらぺらのプリンタ券が大好きなのだ。そんなわけで精算するわけである。
ディーゼル車は盆地にやってきた。そして終点、加計に到着である。すっかり明るくなっていた。
ここから先、三段峡に行くには1時間以上後から来る臨時列車を待てば良い。だからいったん外に出て散歩することにしたわけである。
加計駅周辺
プリンタ券を改札に渡して外に出た。まずは窓口で三段峡までのきっぷを買っておく。
そして散歩である。山村といった感じの駅前の道路である。
駅前の商店が開いていたので入って朝食のパンと飲み物を買っていく。
それから、そう言えばさっきディーゼル車が到着する寸前に、なんだか木のベンチのようなものが見えたなあと思い出し、ベンチがある場所を探して道路を進んだ。
道路からちょっとはずれた川のそばに木のベンチはあった。なんとなく気分の良い場所である。
ぼくはここでパンを食べることにした。
食べ終わって少し休み、駅に戻った。
加計~三段峡
さてきっぷを見せて改札に入り、臨時列車を待った。しばらく待つと臨時列車がやってきた。
げっ!大混雑だ!
臨時列車は時ならぬ大混雑であった。そうか、紅葉の季節だからなあと思った。
大混雑の中、なんとか臨時列車に乗り、立ったまま三段峡まで時間を過ごす。
加計を出ると可部~加計間と同じような渓谷が続いた。
そして終点、三段峡である。かなり長いホームが続いている。
いっせいに人が降り、そして改札へと向かう。
三段峡駅
とりあえずいったん改札を出てみた。
降りたお客は一方向に向かっているようである。おそらくあの先に目指す紅葉のある三段峡があるのであろう。
しかし駅前の案内図を見るとけっこう距離がありそうだ。
ぼくは数十分後に来る可部行きで広島市内に戻らなければならない。そうしないと次の列車は数時間後で、これから予定している宮島とか、第三セクターの錦川鉄道とかに乗れなくなるからだ。
だから三段峡に行くのはあきらめることにした。
とりあえずアストラムラインに乗ろうと、ぼくは可部線の大町駅までのきっぷを窓口で買った。
そして改札を抜け、ディーゼル車を待った。
三段峡~可部
ディーゼル車がやってきた。人が降りてくる。臨時列車より若干お客が少ない。乗り終わった後に乗り込んだ。すわってしばらくすると発車である。
ぼくは寝台特急はやぶさに乗った疲れもあり、ぐっすり眠ってしまった。
車掌さんに起こされた。加計に停車中らしい。なんでもこの車両は加計で切り離されるのでとなりの車両に移ってほしいとのこと。
なんとか移ってまたすわり、発車である。こんなことはけっこうたくさん旅行していると頻繁にあるのである。
また眠って起きるとディーゼル車は終点可部に到着するところだった。
乗り換え時間はわずかしかないので、ぼくは広島行き電車に乗ろうと急いでディーゼル車を降りることにした。
可部線その3
旅行記本文
三段峡(さんだんきょう)から乗ってきたディーゼル車を可部(かべ)駅で降りると、となりにある広島行きの電車に向かった。めざすはアストラムラインの乗り換え駅、大町である。
電車に乗るとすぐにドアが閉まり、発車した。
市街地を電車は進む。だんだん家並みが多くなってきた。
そうこうするうちに電車は目的地、大町駅にやってきた。
見上げるとアストラムラインの軌道らしい高架が可部線をまたぎ越しているのが見えた。
電車を降りて改札に行き、三段峡で買った大町行きのきっぷを渡して外に出た。
ぼくはアストラムラインに乗った先にある「広域公園前」ってどんなところなのだろうとわくわくしていた。
アストラムライン
大町~広域公園前
可部線の大町駅を出て、すぐそばにあったアストラムラインの駅に向けて進んだ。
階段を昇り、自動券売機で広域公園前までのきっぷを買った。そして自動改札を通ってエスカレーターを昇り、ホームに来た。
じきに広域公園前行き車両がやってきた。ドアが開き、乗った。
それほど混雑しているわけでもない車両は、高架の軌道をすいすいと進んでいった。
大町を出たころは続いていた家並みも、広域公園前に来るころにはすっかり閑散として多少高い山が見えるくらいになってきた。そして終点、広域公園前に到着である。
いったん降りて改札を出た。
広域公園前駅周辺
あたりに何かないかと探してみたところ、公園か何かの入り口のような場所を見つけた。
ぼくは進んでみることにした。
しばらく進んでみるとけっこう整備された道のようだ。どうやら公園ではなくて大学のようである。それにしてもどこまで続いているのだろう。
そのうち案内図が見えてきたので見てみることにした。
ありゃ。大学の校舎と現在地の図から言って、まだまだだいぶ歩かないと建物に着けないようだ。
ちょっとたいへんなので建物には行かずにここで引き返すことにした。
広域公園前~本通
もと来た道を進み、なんとか駅まで戻ってきた。
自動券売機で本通(ほんどおり)までのきっぷを買い、改札をぬけて停車していた車両に乗った。
そして車両はドアが閉じ、発車する。
景色は田舎の風景から家並みが続く風景に変わっていき、大町駅を過ぎた。
さらに家並みが混雑してきて、お客もちょっとだけ増えてきた。
そんな中、アストラムラインは地下にもぐっていき、そのまま終点まで地下を進んだ。
そして終点、本通に到着だ。他のお客に混じって降りる。
本通~紙屋町
エスカレーターを昇り、自動改札を通って外に出て、さらに階段を上がって地上に出た。
わあ、すごいところだなあ。
そこは広島でも大都会だった。
大きなビルが立ち並び、広島市の一等地、といった感じの場所だった。
さて、ここから宮島まで行かなければならない。
それには市電に乗らなければならないが、どうやらここから北にちょっとだけ行ったところにある「紙屋町(かみやちょう)」というところから宮島行きの市電が出ているらしい。そんなわけで北に進むことにした。
てくてく北に進むとビルの谷間に東西に続くレールが見えてきた。
ぼくは市電に乗ろうと紙屋町の安全地帯に近づいていった。
広島市電・宮島線
紙屋町~広電西広島
アストラムラインを本通(ほんどおり)で降り、紙屋町(かみやちょう)の停留所にやってきた。
さて、停留所が交差点の西と東に並んでいた。はて、どっちに行けばいいのだろう。
深く考えずにどっちでもいいだろうと思い、東側の安全地帯に向かった。
案内板を見ると「宮島」と書いてある。やっぱりここで良さそうだ。
しばらく待つと宮島行きの電車がやってきた。さすがに3連休なので大混雑だ。ぼくと同じような観光客もたくさん乗っているかなあ。それとも地元客だけでこんなに混雑しているのかな。
電車に乗って適当なところに立った。
そしてドアが閉まり、電車は発車していく。
交差点を過ぎて次の停留所にも停車する。
紙屋町の交差点の東西どちらの安全地帯にも停車するらしい。なんだかよくわからないが、そういうものなのだろうと納得しておく。
市電は広島市内の大通りを右に左に曲がりながら進んでいく。
こんな混雑した中でも車掌は乗っている。ぼくは車掌から終点までのきっぷを買った。
やっぱり住むなら市電が走るくらいの街がいいのかなあなどと考えてみる。
相変わらず混雑したまま電車は進む。
広電西広島~宮島
やがて大きなターミナルのような建物が右に見えた。
どうやら広電西広島駅のようだ。
車内の運賃表を見ると、どうやらこの駅を境に東は均一運賃、西は乗車キロで運賃を計算するらしい。なかなかおもしろいシステムのような気がする。
電車が広電西広島駅を発車すると、レールはいままでの道路の中央から、道路の脇に移り、専用の軌道を走っていく。そう言えば去年行った岐阜の名鉄の美濃町線もそうだったなあと思い出す。
お客はだんだん降りていき、やっとすわれるようになった。もっとも終点はすぐだからちょっとしかすわれないのだが。
左手に海が見えてきて、さらに電車は進み、終点広電宮島口駅に着いた。
車掌から買ったきっぷを渡して電車を降りた。
さあ、次は宮島までの船だと思い、ぼくはJRの宮島航路を探すことにした。
補足
なお、2008年現在、紙屋町は「紙屋町西」「紙屋町東」と別個の停留所名がついている。
紙屋町西←→紙屋町東間の乗り換えが可能かわからないが、たぶんできるのだろう。
宮島航路
宮島口周辺
広島の市電を宮島駅で降りると、ぼくはJRの宮島航路を探すことにした。
駅から西に歩くと、はるか北の方にJRの駅が見えた。山陽本線の宮島口駅のようだ。
南の方を見ると港が2つ並んでいるのが見えた。ぼくはてくてく歩き、はるか南にある港に向けて進んでいった。
着いた。「JR」と書いてある。どうやらこっちがJRの宮島口の港のようだ。ということは、はるか左手にあるのが松代観光船の宮島行きの港だろう。
乗船券を買おうと見回すと、なんとJRの自動券売機みたいな券売機があり、しかもオレンジカードを入れる場所までついていた。どうやら宮島までの乗船券(と言うより、きっぷ)はオレンジカードで買えるようだ。オレンジカードを入れ、ボタンを押して宮島までのきっぷを買った。
さすがに3連休のなかびだけあって、港にはたくさんのお客がいた。みんな宮島に行くお客のようだ。
宮島口~宮島
ちょっと待つと乗船案内があり、ぼくはほかのお客に混じって通路を進み、なんとか乗船した。
しかしお客がいっぱいで船室は大混雑している。今日はデッキで景色でもながめていようと思った。
ブオーと大きな音が聞こえ始め、出航である。
船は宮島口の港を離れ、瀬戸内海を進み始めた。
船は進む。海はやっぱりいい。天気も良く、きれいな海である。そして宮島が近づいてきた。
宮島の港が近づき、到着である。とりあえず降りた。
宮島島内
宮島はお客がいっぱいであった。みやげもの屋もたくさんある。
船に乗ることが目的のぼくは、特に宮島に着いても何もすることがなく、ぼーっと歩いていた。
おっと、鹿がいる。宮島はぼくがかなり前に行ったことのある宮城県の金華山や、奈良の奈良公園と同じように鹿がいるのである。あまり気持ちがいいものではないのでそーっと離れた。
何もせずにぼーっとしていたが、もうそろそろ船に乗って戻らないと次の目的地、錦川鉄道に乗れないな、と思い、また港に戻ることにした。帰りもJRの船にしよう。
港には宮島口の港と同様に自動券売機があった。なんと、「船のきっぷ」+「山陽本線宮島口からの電車のきっぷ」が1枚になったきっぷが売っていた。もちろんオレンジカードで買える。
これから進むのが錦川鉄道ということもあり、JRと錦川鉄道の接続駅の川西駅までのきっぷを買った。
宮島~宮島口
そのうち乗船時刻になり、また船に乗った。
夕方が近づき、多少暗くなった中を船は宮島口まで進んだ。そして到着。
ぼくはきっぷを見せて船をおりた。
そして北に進む。てくてく進むと交差点があった。信号を待って渡る。
そして山陽本線の宮島口駅にやってきた。ぼくは宮島で買ったきっぷを手に、ひとまず岩国まで電車に乗ろうと改札に近づいていった。
山陽本線その2
旅行記本文
JRの宮島航路の港から宮島口駅に行き、宮島から川西までのきっぷを見せて改札を通った。じきに電車がやってきた。3連休のなかびなので混雑しており、すわれないまますごす。なんとか岩国までやってきて、電車を降りた。
さあ、今日は帰りのはやぶさに乗るまでにもう1仕事しなければならない。ぼくは錦川鉄道のホームを探そうと、階段をのぼって行った。
錦川鉄道
岩国駅
宮島口から乗ってきた電車を岩国で降り、ぼくはいったん錦川鉄道の出る0番線の出るホームに向かった。
そのうち岩徳線の方からディーゼル車がやってきたが、ポイントを渡ってとなりの1番線へと向かっていく。
ちなみに1番線と0番線は階段を使わずに乗り換えができ、1番線は広島方面にも行くことができるが0番線はいきどまりホームである。
そのうち今度の錦町行きは都合により1番線から発車しますというアナウンスがあり、1番線へと移動した。1番線にはさっき来た列車が停車している。からっぽの車両とお客がたくさんいる車両がつながっている。団体旅行っぽい車両だ。そのうち団体車両が切り離されて広島の方向に進んでいった。
ふーん、錦川鉄道って団体旅行が行くような観光地があるんだな、どこなんだろうと思った。まあ団体旅行が来るなら錦川鉄道もやっていけるのかな、と思った。
岩国~錦町
残されたからっぽの車両が錦町に行くとのことである。そのうちドアが開いたので乗る。もちろんすわれた。お客は数えるほどしかおらず、そのうち出発である。
ディーゼル車は低い山に囲まれた岩徳線を川西まで進み、錦川鉄道へと入っていく。
じきに山陽新幹線の高架が見えてきて、御庄(みしょう)駅である。暗くなり始めていて、多少離れたところに新岩国駅らしい建物が見えた。そこからは多少高い山にはさまれた谷間を進んでいき、日が暮れた。
錦町駅周辺
そして終点錦町に着いた。宮島で買った川西までのきっぷと川西~錦町間の運賃を渡してディーゼル車を降り、駅を出た。岩国行きの列車はすぐ出るが、次の列車に乗ることにして散歩することにする。どこか食堂はないかなあ。
すっかり暗くなった空の下、山に囲まれ、たいしたお店もなく車も少ない集落を歩いていると喫茶店らしい店を見つけた。しかし入ってみると、
「うちは食事はやっていないよ。」
と店の主人らしいおばさんに言われた。しかたがないので引き返すことにする。中にいたねこがとてもかわいかった。
特に見るところもないし、また駅に戻ろう。また歩いて駅に戻ってきた。さてどこで夕食を食べようか。
錦町~岩国
今日は広島まで戻って寝台特急はやぶさで東京に行けば良い。きっぷは「広島市内→東京都区内」なので広島市内の一番岩国に近い五日市まで買えばいい。
つまり川西-五日市がJR区間ということだ。時刻表を見て考えたら、川西-五日市は川西-大竹、大竹-五日市で分けると運賃が安くなることがわかった。よし、大竹で降りて夕食にしようと考え、大竹まできっぷを買った。
そのうち岩国行きがやってきた。乗るとさっきよりさらにお客が少ない。こんな夜中に錦川鉄道で岩国に向かう人も少ないのだろう。ディーゼル車は発車した。
暗い中、ほとんど誰も乗ってこないまま御庄を過ぎ、岩国に着いた。今度は0番線である。ぼくは大竹に向かおうと、山陽本線の電車のホームを探した。
山陽本線その3
旅行記本文
岩国で広島の方に行く電車に乗った。まだ寝台特急はやぶさが広島を発車するまで時間がある。
予定通り次の大竹駅で降りる。駅自体は小さな駅だった。さて、錦町では食堂が見つからなかったが、ここではどうだろうか?
駅からちょっと歩いたところに食堂が見つかった。いかにも和風の食堂だ。入ってみよう。
席は空いていた。焼肉定食をたのむ。焼肉は自分で焼くタイプはどうも好きになれない。やっぱり皿に焼いたのが盛られるのがいい。焼肉定食が出てきたので食べる。いつものようにうまい。
広島には確かに広島の名物があるが、全国どこでも食べられるメニューの方がありがたみが大きいと思うのは変だろうか?ごちそうさま。
まだけっこう時間があるが、広島駅にあるはずの日本テレコムのクレジットカードでかけられる電話で実家に電話しておきたいので、広島駅での待ち時間が増えるかもしれないがもう広島駅に向かうことにする。手持ちのきっぷは「広島市内→東京都区内」であり、広島市内は五日市からなので、大竹から五日市まできっぷを買えば良い。改札を通る。
電車がやってきた。もう午後9時近く、お客は少ない。宮島口でもお客はほとんど乗ってこない。そのまま広島に着いた。まだはやぶさが発車するまでは1時間近くある。まずは日本テレコムの公衆電話を探しに行こう。
山陽本線その4
就寝前
大竹駅から乗ってきた電車を広島駅で降りたが、まだ東京行き寝台特急はやぶさの発車時刻までは時間がある。ひとまず日本テレコムの公衆電話を探して、クレジットカードで実家に電話しておく。
電話が終わるとはやぶさの出るホームに向かう。寝台券を見て、乗る寝台車の停車位置に向かい、はやぶさを待った。しかし発車時刻になってもはやぶさはやってこない。
数分遅れてようやくはやぶさがやってきた。はやぶさみたいな客車の列車は、途中何かの都合で遅れても、なかなか回復することができないのだろうと思った。ドアが開いたので乗る。
さすがに西鹿児島からやってくる列車だけあって、すでにお客はほとんど眠っている。
ぼくもしたくをして眠ることにする。さすがにきのうもはやぶさに乗ったこともあり、ほとんど眠れていないのですぐに眠ってしまった。
起床
気がつくとすっかり夜が明けており、今富士のあたりのようだ。まだ眠いのでしばらくぼ~っとして過ごす。
そのうち南側の窓から海が見えてきた。景色からすると湯河原から真鶴にかけての海だろう。
またもぼ~っとして過ごす。
そのうち小田原に着いた。小田原を過ぎるともう海は見えない。
よし、ここではやぶさについていると言われているうわさのラウンジカーに行ってみようと思った。もう寝台には戻らないつもりなので荷物を持ってラウンジに向かった。
ラウンジ
ラウンジに着いた。山側の窓側に向けてシートがついていて、簡易机が窓についていた。
海側は向かい合わせのシートになっていた。
とりあえず山側のシートにすわってぼ~っと景色を見て過ごした。
今は朝8時ちょっと過ぎである。平塚、藤沢、大船と、客でいっぱいのホームを過ぎていく。
休日とは言え、通勤客もいるようだ。
戸塚の山の斜面の団地を過ぎ、横浜に停車する。お客が何人か降りていく。
快適なラウンジであるが、さすがに誰ももうやってこない。
川崎を通過し、多摩川を渡っていく。
そして品川を出て、東京駅が近づいてきた。東京に着いてから出ればいいだろう。
東京駅
そして東京駅に到着である。さあ、出口に行こう。
あれ?ラウンジに出口がない!
どうもラウンジには出口がないみたいである。しかたなくとなりの車両の通路を1車両分走り、なんとかドアが開いているうちに外に出た。行きにも使った東京駅の狭いホームである。
今回の旅行も無事終わった。可部線や錦川鉄道にも乗ったし、アストラムラインや宮島航路にも乗れたので、往復寝台特急でかなり疲れた旅行だったが、味わいのある旅行だったと言えよう。
東京からぼくはアパートに帰ることにした。
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