44.はじめての寝台特急
説明
阪神淡路大震災で壊れていた山陽新幹線新大阪~姫路間が、3ヶ月ぶりに復活するというニュースが流れました。
いっちょ景気づけに乗ってみるかと思いました。
どうせならついでにあこがれの寝台特急に乗ってみよう、と思いました。行きは寝台特急、帰りは新幹線で帰ろうと思いました。最初から航空機は頭に入ってなかったわけです。
こういう時に使えるきっぷが指定席往復割引きっぷです。
普通に往復きっぷと特急券を買うよりもお得で、しかも約9000円も乗車券とは別に買う必要があるはずのB寝台にも同じきっぷで行くことができる、そういう大安売りきっぷです。
なんとなく意味もなく博多に行きたくなりました。さくらに乗ろうと思いました。
博多に着くのが9時半です。そして東京に着くには博多を出るのが16時ちょうどでないとつらいです。
博多で約6時間、何をしようかとか全く考えず、行こうと思ったその日にさくらの寝台券を予約したら買えてしまいました。
先週菅野美穂ちゃんと握手するため名古屋に行ったばかりだというのに、また新幹線に乗ってしまうというものすごい無駄使いをしています。
さくらの発車時刻が近づいたので東京駅に向かいました。
(注意:ここでの指定席往復割引きっぷの説明は当時のルールで、その後かなりルールが変更になっています。名称も「往復割引きっぷ(組合わせタイプ)」になっております。
詳細は関連リンクの「往復割引」を選択して説明を見てください)
鹿児島本線その1
東京駅
東京駅に着いた。さくらの発車は夕方6時ちょっと前なのであるが、とりあえずさくらの発車するホームに行ってみた。
このころの東京駅は、東海道線ホームを3線でやりくりしていた。
今まで東海道線ホームがあった場所にもう1つ上越方面の新幹線ホームを作るためであった。
さくらが発車するホームは狭いホームで、他の東海道線の電車が発車することは少ないので、あまりお客もいなかった。
入線時刻は発車時刻の10数分前なのであるが、入線時刻もかなり先のようだ。
ひまなので京葉線ホームまで歩いて時間をつぶしてみた。そしてまた東海道線ホームに戻った。
入線
ようやく入線時刻だ。
ガタコンガタコンと、いかにもブルートレインらしい列車がやってきた。そしてホームに停車した。
以前に乗った、今はなくなってしまった急行大雪や、今も走っている急行はまなすに似たような青い車体である。
でも、今はもう食堂車が営業していないという話である。なんとなく古ぼけているような気がした。
お客もそんなに並ばない。さすがに尼崎~加古川間が復活し、さくらが復活してわずか1週間しかたっていないので、復活したことを知らない人も多く、お客があまりいないのだろうと考えた。
ようやく扉が開いたので中に入る。
乗車
寝台券を見て、自分の寝台を探した。今日の午前中に予約した割には下段が取れてしまった。いつさくらが復活するかわからなかったので、復活するまで寝台券の発売を中止していたのだろう。
寝台を見つけた。
それほど広くはないが、狭くもない。
窓を見ると向こうの方の東海道本線ホームが見える。土曜の夕方である。通勤客が並んでいる。
寝台にはゆかたが置かれていたが、ぼくは中学生のころゆかたを着て寝たらかぜをひいてしまったことがあるので、普段着のまま寝ようと考えた。
毛布も置かれている。
毛布を見たら、「日本国有鉄道」と書いてある。なんだかなつかしいなあ、などと思う。
もともと寝台特急は、「国鉄時代と同様のサービスを実現するため」に残されたものであるので、毛布なども極力古いものを大切に使っているのかもしれないなあ、と思った。
折り畳み式の階段が窓の所にある。大学の寮の2段ベッドとは違う。これだと上段の寝台に行くのがかなり難しそうである。
まあいいか。いつか上段を取った時に考えよう。
東京~静岡
そして発車時刻がやってきた。今日使っているのは指定席往復割引きっぷであるが、このきっぷもいつまで続くかわからないので、折りを見て使っていこうと思った。さあ、はじめてのブルートレイン旅行のはじまりだ。
ガタゴトと進む。もちろん東海道線なので、いつもの東海道線のルートを通る。有楽町が、新橋が、浜松町が、田町が見える。
こういう寝っころがれる場所から通勤客を見ながら進むのはなんとも極楽な気分なのである。
東海道線なので田町を過ぎると車庫のような場所が見えて、品川も通過する。
なんとも不思議な空間を進んでいく。多摩川を渡る。そして横浜に着いた。
横浜で中年女性が乗ってきた。まあ、あまりにもお客がいないのもつまらないから、このくらいがいいのかもしれない。
結局この女性とは話はしなかった。そして、上段には誰も乗って来なかった。いつもこうなのか、それとも阪神大震災が原因の、さくらの運休から復活したばかりなので今日が特別なのかわからないが、けっこう上段に誰も乗らないことがあるのだろう。
せっかくの寝台だから、早々に横になる。しかし、さすがにはじめてブルートレインに乗るので、目がさえて眠れない。
静岡~名古屋
そうこうするうちに静岡を過ぎた。
ぼくはここで「昔食堂車と呼ばれていた車両」に行ってみることにした。
時刻表で弁当の「弁」のマークのあるその車両は、プラスチック製のいすが並んだ殺風景な場所であった。
店員もいない。
そういえばさっきここに来る時に巡回していた店員とすれちがった。
どうやらこの頃就寝前にここで弁当を売る人は、いったん車内を巡回して、巡回が済むとここに戻ってきて弁当を売る方式だったらしい。
しばらく待つことにした。
同じように待つ人が数人、いすにもすわらずに並んでいる。
浜松を過ぎたころ、ようやく店員が戻ってきた。行列ができるが、せっかくいすにすわっているので、後の方でいいと思った。けっこう弁当があるので、なんとか買えそうだ。
やがてぼくの順番になったので、弁当を買って食べた。さすがにJR車内の弁当なので、そんなにまずくないものだった。
食べ終わったところで寝台に戻り、横になって目を閉じた。しかしあまり眠れない。
名古屋~大垣
そうするうちに名古屋を過ぎた。
さて、さくらに乗ったらぜひとも見てみたい景色があった。
この特急は、大垣~関ヶ原間を、垂井(たるい)を通らない路線を通る。昔はここに「新垂井」という駅があったが、不便なので廃止されてしまった。だからこの路線を「新垂井線」と呼ぶ人が多い。正式には東海道本線の一部なのだが。
どんな所を通るのか見てみたいので起きていた。もうすぐ新垂井線にさしかかる時間だ。
大垣を出たさくらから、美濃赤坂に向かうという線路が見えてきた。あの線路もいつか通ってみたい。
樽見鉄道あたりと組み合わせて乗りに行こう、と考えた。
そしてしばらくすると、ポイントを渡る音とともに、さくらはカーブにさしかかった。いったん左に進み、普通列車が通る下りと上りの線路をくぐって右に曲がっていく。ついに「新垂井線」だ。
大垣~関ヶ原
カーテンをめくって寝台車の通路側を見ると、月が見える。上弦の月だ。月は西の空にある。
ここで言う通路側とは進行方向左側だから、今北に進んでいることになる。
まちがいなく新垂井線である。
そのうち森の中に入っていく。やや左にカーブする。
寝台側の窓、すなわち右手にお墓が見えた。カーテンをめくって左側を見ると、森の木々のすきまから南の畑が見える。ここは畑からかなり標高を上げて進んでいるようだ。
ということは、勾配は垂井経由よりもはるかになだらかということになる。普通列車の通る線路は、おそらく垂井~関ヶ原の間でかなり急な勾配で、こっちの線路は標高の高い森を使ってゆっくりと標高を上げているのだろう。
何本かトンネルをくぐって、また左にカーブして森をぬけた。今度は寝台側の窓から月が見えてきた。南に進んでいるのである。
高架に支えられた線路を進んでいく。あたりは畑が広がっている。
そしてついに右にカーブを始め、上りらしい線路をくぐった。そしてさらに右に曲がり、ガチャンとポイントを通過する音が聞こえた。そのまま進むといつも関ヶ原で見かける関ヶ原の戦いの東軍と西軍の看板が見えてきた。
やった~これでひとまず東海道本線の一番通りにくい所を通ったぞ~と思い、横になった。
関ヶ原~徳山
それでも眠れない。しばらくして窓の外を見ると、まだ京都だ。
そのうち大阪を過ぎ、兵庫県に入っていく。
なんとなくあまり景色を見たくないような気がした。
やっぱりいろいろこわれた建物とか見えるんじゃないかと思い、なんとなくいやなのである。通過するJRの駅のホームをながめておくだけにする。もちろん、もう夜中の0時近くなのでそんなに景色は見えないのだけれど。
今後いつか東京でも大きな地震が起きるのかもしれない。そうなった時、いったいどんな風景になるのだろう。
そんなことを考えながらカーテンを閉じて眠った。
徳山~博多
ふと目を開けるともう明るくなっていた。どこかの駅に停車していた。「山」という文字が見えたので福山かな?と思ったが、徳山であった。
まあ、まだもうちょっと寝ていてもいいだろうと思い、また横になった。どうせ朝食なんてのも食べられないだろう。
そのうち下関に着くが、さすがに神戸まで起きていただけあってまだ眠い。いつのまにか門司に来てしまう。
カーテンを引き、景色を見てみる。はじめて乗るJR九州区間である。やっぱり九州なので、なんとなく本州とは違う雰囲気のような気がする。航空機で博多入りするのとは違い、「おごそか」な感じがする。
別に博多で泊まるわけではないので荷物も少ない。さらさらと荷物をまとめると博多が近づいた。
向かいの中年の女性も降りるようだ。以前は博多止まりの寝台特急あさかぜとかあったのだが、今はあさかぜは下関止まりの編成しかなくなってしまい、博多に寝台で行くにはさくらかみずほかはやぶさに乗るしかなくなってしまった(2000年現在はみずほもなくなっている)。
出口で並ぶと博多に到着である。寝台車を降りた。半分より多い客が降りたようである。
このようにして生まれてはじめての寝台特急の経験は終わったのである。
さてこれから約6時間をどう過ごすか、考えてみることにして、まずは改札に行き、指定席往復割引きっぷを見せて、さらにさくらの寝台券(0円券)を渡して博多駅の改札の外に出た。あるのはヒマと時間だけである。
福岡市営地下鉄・空港線
博多~天神
寝台特急さくらを降りて、はじめての博多駅に降りてみた。
福岡に来たのは2度目だが、あの時は福岡空港と出張先の天神を往復しただけだから、博多駅には来ていない。いろいろ見回してみた。やっぱり新幹線の駅なので、それなりに大きい。
さて、これからどうしようか。
なにしろ、16時発のひかりまで自由時間なのだ。そしてぼくは何をするか全く考えていなかった。
とりあえず、また天神に行くことにした。
案内に従い、地下鉄の博多駅に向かった。
天神駅の地下街ほど大きな地下街が広がっているわけでもなく、まあこじんまりした駅である。自動改札もけっこう古い。大阪の地下鉄並みだ。ということは大阪の地下鉄並みに古くから自動改札になっているということだ。
空港と直結なのだから今回も混雑している。博多でけっこう降りるのでなんとか座れた。とは言ってもたった3駅だからたいしたこともなく、2度目の天神に着いた。やっぱり大きな地下街だ。とぼとぼ歩く。
朝食
ふと、デパートの前に出た。なんだかもうちょっとで開店のようだ。あ、そうか、10時だからなあ。
岩田屋という名前のデパートだ。ここでめんたいこを買って実家に送ってもらおう、と思った。
10時になり、岩田屋が開いた。食品売場に行き、めんたいこを買って送ってもらった。送料が別途取られた。あれ、この前は送料サービスだったけどなあ。あの時とは違う店なのかなあ?まあいいや。
岩田屋を出て、どこか知らない道を歩いてみた。そういえばけさはずっと何も食べてなかったなあ。
なんだかしゃれた食堂があったので入ってみた。スパゲッティを食べることにした。さて、これからどうしようか。
計画
ひらめいた。筑豊本線に行こう。
博多に16時までに戻ってくる必要があるが、筑豊本線には列車数の少ない桂川(けいせん)~原田(はるだ)という区間があり、ちょうど原田に着くディーゼル車の中に博多に16時に戻れるディーゼル車がある。
さらに、福岡にも東京近郊区間のように、遠回りしても近道しても運賃は同じ、という区間があり、筑豊本線はこれに含まれている。
したがって、ここからだと地下鉄の箱崎線で貝塚に行き、西鉄で和白(わじろ)に行き、和白から博多までのきっぷを買って、和白→香椎→折尾→桂川→原田→博多とまわれば無駄がない。
さっそくこれを実行に移そうと思い、天神駅に戻ることにした。
福岡市営地下鉄・箱崎線
旅行記本文
天神駅に戻って貝塚までのきっぷを買い、自動改札をくぐった。
福岡空港行きの電車を1本見送って貝塚行きに乗った。
あまりお客はいない。博多から直通で行けないのだから、地元の人は車を使うのだろう。あくまでよそから来る人向け、といった感じの地下鉄である。
降りる客も乗る客もほとんどいないまま進んでいく。
地下鉄が終点貝塚に近づくと地上に出た。そして貝塚に到着した。
空港線と筑肥線は直通しているのに、ここは改札が別々である。箱崎線の改札と宮地岳線の改札が10メートルくらい離れていて、それぞれの改札のそばに自動券売機がある。よくありそうな構造であるが、実際にはあまり見られず、大阪の新今宮駅(JRと南海)くらいしかぼくは似たような構造の駅を見たことがない。
いずれにしても、西鉄と地下鉄が相互乗り入れをしないのは、深~いわけがあるのだろう。
(注意:読者より相互乗り入れをしないのは、あとからできた地下鉄に合わせて不燃化構造の車両を導入するのに費用がかかるとか、信号設備の不一致とかがあるというアドバイスがありました。厚く御礼申し上げます。)
西鉄宮地岳線
貝塚~和白
貝塚駅の券売機で和白(わじろ)まできっぷを買い、西鉄宮地岳(みやじだけ)線のホームに入った。
まだ博多からそんなに距離が離れていないはずなのに、まるでお客の少ない電車である。
とは言っても、午前中の博多から逆方向の電車なのでお客が少ないのかもしれない。
やっぱりロングシートである。ぼくはロングシートが大好きなのでごきげんである。
海が近いはずであるが、見えるわけではない。もしかしたら和白から先に行くと見えるのかもしれないが、今日はやめておこう。今日は九州のJRにはじめて乗る日なのだから、まずはJRに乗ってみようと考えた。
まもなく和白が近づき、到着となった。さて、ここで博多まできっぷを買わなければならない。きっぷを売っているところをまずは探してみた。
和白駅
窓口があり、中年の女性がいた。
「博多まで」
「230円になります」
あとで知った情報によると、ここできっぷを売っている人は西鉄から委託された人で、JRのきっぷもここで売っているらしい。
渡されたきっぷは「和白→230円」と書かれた薄い紙のきっぷであった。磁気券があまり好きでないぼくとしてはこういうきっぷはありがたい。数時間しか持てないきっぷであることはわかっているが、さいふに入れておくことにする。
和白は立体交差の駅である。ちょっと迷ったが、なんとか香椎線ホームに進んだ。
鹿児島本線その2
旅行記本文
「和白(わじろ)→230円」と書かれたきっぷを持ってディーゼルカーを待った。どこにでもあるディーゼルカーがやってきて、たちまち1駅、香椎(かしい)に到着した。
香椎の駅は階段が1か所にしかなくて乗り換えにくいが、なんとか門司港方面のホームに進んだ。
今回は、福岡の近郊区間の特例を使って和白→折尾→桂川(けいせん)→原田(はるだ)→博多と遠回りして進んで筑豊本線の原田~折尾間を乗る予定である。
やってきた電車は新しい電車だった。東京や大阪の快速列車ほど混雑もしていない。
時刻表によれば、今から乗る快速列車と接続のいい筑豊本線は黒崎の方から来るので、折尾駅では鹿児島本線ホームからいったん改札を出て進む必要のあるホームを通るようだ。それならば黒崎まで行って乗り換えた方がいい。
もう12時になっており、ちょっと腹が減ってきたが、さっきスパゲッティを食べたばかりなので急いで何か食べたいというわけでもない。それよりはじめて乗るJR九州の快速列車の快適さに驚くばかりである。
普通列車がこんなにいごこちいいなんて、九州はいいなあ、と思ってしまう。
さっきさくらで乗ってきた場所を引き返すわけだから、そんなに見るべきものはないが、いい雰囲気で香椎から黒崎までやってきた。さあ、乗り換えだ。
筑豊本線
黒崎駅
鹿児島本線の電車を黒崎で降りたぼくは、筑豊本線の連絡ホームを探した。
この駅は博多方面の列車が鹿児島本線経由・筑豊本線・篠栗(ささぐり)線経由と2系統あり、まっすぐ博多に行きたい人がまちがえて筑豊本線・篠栗線経由に乗ると、時間が倍かかってしまう。
そして福岡近郊区間の特例で、筑豊本線・篠栗線経由でも鹿児島本線経由でも運賃は変わらない。
さらに、筑豊本線から篠栗線に入らず、桂川からそのまま筑豊本線の原田(はるだ)行きに乗って、原田から上りの鹿児島本線で博多に行っても運賃は変わらない。ただし時間は3倍かかる。
もちろんぼくはそんなことは承知の上で筑豊本線・原田経由で博多に行くのだ。
筑豊本線のディーゼル車がやってきた。本州でも北海道でも見たことのないディーゼル車である。
黒崎~桂川
まずは鹿児島本線をしばらく進んだ後、鹿児島本線と分岐して左にそれていき、折尾に停車する。ここのホームは鹿児島本線のホームから離れている。そのため博多から来る人も黒崎まで行って筑豊本線に乗り換える特例が認められている。
折尾を出ると、若松の方からやってきた路線と合流する。北九州の市街地を離れて、ディーゼル車は筑豊の小高い山に囲まれた谷間を進んでいく。
直方、飯塚を過ぎ、桂川(けいせん)に着いた。ここで原田(はるだ)行きに乗り換えだ。
黒崎から筑豊本線に乗り入れるディーゼル車のかなりの本数が、篠栗線経由で博多に乗り入れている。
そして黒崎や折尾から、筑豊本線をそのまま進んで原田に進む列車は1本もない。
昔は大阪発の寝台列車の一部が博多を通らずに筑豊本線経由で直方などにお客を運んでいたとのことで、それを考えるとこの現状はとてもつらい。
桂川駅
原田行きのディーゼル車は、列車数が少ないこともあって、発車時刻のかなり前に入線した。
昔はみんなこうだったんだよなあ~と思いながらシートに座った。
ほとんどお客はいない。
桂川に停車しているうちに、「乗車券を拝見いたします」と言って車掌が乗ってきた。ぼくは和白で買った「和白→230円」のきっぷを見せた。
「原田経由で博多に行きます。」
「博多?篠栗線に乗るんでこの列車を待合室代わりにしてるの?」
「…」
「あっ、原田経由か。はいどうぞ。」
車掌さんも大回り乗車のことは承知はしていたようだが、原田経由のことまで頭が回らなかったらしい。
桂川~原田
ほとんどお客もいないままディーゼル車は発車した。
桂川を出てしばらくするとディーゼル車はトンネルに入った。
なにやらとても長いトンネルである。ディーゼル車の排煙でけむたくならないのかとても心配である。列車数が少ないからこれでいいのかもしれない。
トンネルを抜けるともう山はなく、広い平野が続いていた。
いくつか駅に停車するが、ほとんど乗り降りもない。
そのうち「次は終点、原田です。」のアナウンスが流れた。
原田駅
乗り換え駅なのだから多少は家も多いだろうと思っていたが、予想を裏切り、原田は田んぼの中の駅であった。乗り換え駅といえども、筑豊本線は列車数が少ないので、普通の街のそばの駅より駅の前の家の数が少ない。ディーゼル車は原田駅のホームに到着した。
駅のそばに家がたくさんできるのがあたりまえ、という常識が通用しない世界なのかもしれないなあ、と思う。
さあ、もうすぐ16時がやってくる。早いところ博多に戻ろうと考え、博多行きのホームを探した。
なお、あとで時刻表を見ると、桂川~原田の区間は当時約1対1の割合で客車とディーゼル車が走っていたことがわかった。それを考えるとこの時ディーゼル車だったのはちょっともったいなかったのかもしれない。
現在はもう客車は走っていない。おそらくお客が混雑する時間帯に走らせていたのだろう。
鹿児島本線その3
旅行記本文
原田(はるだ)駅でぼ~っと電車を待った。快速がごーーっと通り過ぎていく。
田んぼの中の原田駅は、筑豊本線の乗り換え駅であるにもかかわらず、快速が停まらないのである。
そのうち各駅停車がやってきた。
各駅停車とは言え、東日本、東海、西日本のコンパクト性を追求した余裕のない電車とは違い、JR九州の電車はどことなく余裕の車内という感じのする車両である。
なんだかとても落ち着くような気がする。日曜なのにそれほどお客もいない。
そのうち景色は市街地の景色に変わってきて、博多に到着。数時間ぶりに博多駅に戻ってきた。
さあ、指定席を取っておいた16:00までもう1時間もない。いったん改札を出て新幹線の改札に行くことにした。
和白(わじろ)で買った紙のきっぷを改札に出して博多駅構内を歩きだした。
山陽新幹線
博多駅
博多の在来線の改札口を出て、案内に従ってしばらく歩くと新幹線の改札口がみつかった。どうせもう時間もないことだし、改札に入ろう。ぼくは指定席往復割引きっぷの「福岡市内→東京都区内」の券を見せて改札を入った。
さすがに阪神大震災から復旧したばかりとあって、お客は少ない。ホームに行って指定席を取った車両が来る場所で待つと、やがて東京行きがやってきた。乗って席に行ってすわる。
それにしても、今日まで京都までしか新幹線に乗っていなかったのに、一気に博多まで乗ってしまうなんてけっこうすごいなあと思った。
ハートランドフリーきっぷでばりばり乗っていた東北新幹線や上越新幹線に比べて全然乗っていなかった東海道系の新幹線だが、何も用事がないのに乗るのはおもしろいなあと思う。しばらく待つと発車である。
博多~岡山
ひかりは博多の街を離れていく。じきにトンネルに入る。ずっとトンネルのままである。トンネルを抜けたと思うともう小倉である。また発車。
小倉の街を出るとまたトンネルである。航空機でしか行ったことのなかった九州に地続きで行くことができた。いつのまにかトンネルを出て本州に戻っていた。そしてまたトンネルに入る。山陽新幹線は東海道新幹線に比べてトンネルがとても多いようだ。
広島を過ぎたあたりで食堂車にでも行ってみようと思った。時刻表にはこの列車に食堂車マークが付いていたからである。
時刻表の巻末の編成図で食堂車になっている車両には来たが、なにやら機械がありそうな通路があるだけで、どううろうろしても食堂車は見あたらない。
ぼくはおそらく、阪神大震災から復旧したばかりで車両のやりくりがつかず、この列車には食堂車がないのだろうと思い、席に戻ることにした。
あとから考えると、たぶん人員の都合で食堂車が営業できなかったんだろうと思った。
食堂車は2階だてで、2階に食堂があって1階は機械室、そして食堂の入り口は東京の方向にしかないので、入り口が見つからなかったのかもしれない。
岡山~東京
席に戻る。岡山を過ぎた。もう午後6時をだいぶ回っているが、まだそんなに暗くならない。西の方は東京に比べて日が暮れるのが遅いんだな、と改めて思った。
姫路、西明石と過ぎ、新神戸が近づいた。きのうの夜にさくらでおそらくこわれているであろう神戸近辺を通ったときは、なんとなく見たくなかったが、そんな神戸の街も新幹線だとずっとトンネルのはずである。実際トンネルばかりだった。たぶん修復工事とかされているんだろうけど、高速で動いているので工事の跡がわかるはずもない。
新大阪に着いた。そんなにお客は乗ってこない。もう暗くなったのでちょっとだけ眠ろう。
気がつくと名古屋を過ぎていた。帰るのは夜12時近くだし、明日は仕事だし、さらに眠ることにした。
起きるともうすぐ東京である。品川を過ぎ、有楽町のまちなみをながめながらひかりは東京駅へとすべりこんでいった。
先週、今週と続けて2回も長旅をしちゃってだいじょうぶかなと思いながら中間改札をぬけて次の電車へと向かったのだが、5日後の金曜日にも長旅をすることになるとは、この時は思ってもみなかったのである。
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